わが娘

何を語るにおいても、今回のアメリカ旅行において、この人を除いては語れまい。

私達がアメリカ訪問をした時は、日本を離れて10ヶ月余り過ぎていた。英語は上達し、人間的にも

大きくなって、たくましくなっていた。英語のしゃべれない、私から偉そうな事は言われないが、

日本にいる時、我が家に英語を教えに来てくれていた、カレン等と話している時とは、発音も

しゃべり口調もまるで違っていた。結構、ホテルでの交渉でも相手に気押される事なく交渉できるし、

又、知り合いの人との会話には冗談も入っている。やはり10ヶ月のアメリカ生活は無駄ではなかったようだ。

 しかし、変わっていないのは性格。まあこれは仕方ないか。相変わらず、眠いときには超不機嫌だし、

親父にはより一層無愛想だ。今回のような旅行計画や、交渉などもへたくそだ。その上に数々の

アクシデント。本当に疲れてしまっていたようだ。

 しかし、疲れたのは、お前だけではないぞ。お父さんはもっと疲れたぞ。お父さんは旅行の間中、

お母さんとおまえの後ろを追いかけていくのが、精一杯。何をするにも二人で相談し、お父さんは

二人の後ろを重い荷物を持ってついて行くだけ。とても二人の間には割り込めない。そんなわけで、

すっかり疲れてしまい、水ばかり飲んで、トイレばかり探して、又、これで、二人のひんしゅくをかって

しまう事になってしまった。

 娘にとって、アメリカはとても相性のいい国のようだった。人にはもって生まれた性格がある。

娘にとっては、日本でのように言いたいことも押さえて暮らすより、良いことは良い、悪いことは

悪いと言い合えるようなアメリカの方が、性格に合っているのかもしれない。とにかく、今はアメリカ

社会にすっかりとけ込んで、のびのびと生活しているようだ。これだから日本に帰りたいとは

思わないのだろう。とにかく、身体には充分、気を付けて楽しい米国生活を送ってほしい。

娘は来るべくして、アメリカに来たような気がした。

食べ物あれこれ

大きなスーパーマーケット、他品種、大量の商品が並んでいる。

 アメリカ旅行中で、何に困ったと聞かれて答えるとすれば、これが一番困った。私にとって、

食べ物で、まともに食べられたのは、寿司とベーグルサンド、飲茶位なもの。ロブスターも

日本の蟹に比べたら問題にならない。サンドイッチといっても、あの流し焼きの様なものに

ロール状に巻いたもの、大きい上に冷えていて実にまずい。ベトナム料理、これも油濃くて

味には繊細さがない。まあまあ食べられたのは中華料理か。ホテルのバイキングだった。

 とにかくアメリカ人はよく食べる。だから、やたらデブが目に付く。本当に食べすぎだ。

少しは、控えればいいのにと思うような、いい加減太っている人が、コーヒーを飲むのに、

砂糖を4、5杯平気で入れていたり、この上に、まだ食べるのかと思うような肥えた人が、

まだ大きなサンドイッチなどを食べているのを見ると実にグロテスクだ。

 ファーストフードの店がやたら多い。とにかく食べ物の店が多い上に、この手のファースト

フードの店。ちょっと一休みという時に、ついつい手が出ても仕方ない。それくらい多い。

実にみんなゆったりと食べている。せかせかと、ただ食べるだけの日本とは大違い。

これだけ食べ物の店が多くても、人気のある店はやはり予約が必要。こんな店は、やはり

列が出来る。これは日本も同じ事。

 生水が飲めない。聞けば、ここボストンの水はOKとのことだったが、用心のために、ミネラル

ウオーターを買って飲んだ。ジュースはうまい。種類も多い。そして量が多くて安い。果物は

味も種類も日本並。しかし、品質は、日本の方が数段上だ。やはり大量生産方式と手間暇

かけて作る違いだろう。

 レモネード、これが本当のレモネードだ。その場で絞ったレモン汁に砂糖を入れて氷水で割ったもの

結構うまい。かんかん照りの太陽の下で汗を一杯かいた後の味は格別だった。これは日本でも

売れるのではないだろうか。昔、アメリカ人が飲んでいたレモネードをまねて、ラムネを作った

という話を聞いた事があるが、この味とは似ても似つか味だ。

香水の臭い

 どこでも香水の臭いがあふれている。日本で香水の臭いのする所といったら、トイレ、キャバレー、

化粧品売場位、私の経験では余り思いつかない。しかし、アメリカではやたらどこでも香水の臭いがする。

すれ違う人も、店の中も。どうしてだろう。すでにノースウエストの飛行機の中から、この臭いとの

つきあいが始まった。ホテルでも、この様々な臭いにつき合わされて、臭いに弱い小生としては

これも疲れる原因の一つになったような気がする。臭いは自然の臭いが一番いい。アメリカでの

臭いの種類も多く、安っぽいのから日本のお香に似たものまで様々だった。

街の中

 きれいな所もあれば、汚れた汚いところもある。これは日本も同じこと。ことさらアメリカが汚い

わけではない。裏町の建物は古ぼけていて、映画で見るような暗く薄汚れたところもある。

 ボストンは新しさと古さが同居している街。しかし元々西洋建築、根は同じ。近代的なビルと

古い教会が隣り合わせていても、日本の京都のような違和感はない。妙なミスマッチのような

感じで、それはそれでいい。

 星条旗は愛されているのだろうか。どの建物でも、ごく当たり前に星条旗を飾っている。

国旗というより、建物の装飾品のようにも見える。

公立図書館、古い立派な建物だ、側面には星条旗が翻っている。

 建物の落書きも、れっきとした芸術作品。裏町の薄汚れた建物に、この落書きを見ると

いかにもアメリカらしくていい。常にアクションもののアメリカ映画には出てくるような景色だ。

 工事中のところが多い。工事の多いのは日本もそうであるが、その工事そのものは実に雑だ。

道路の縁石に石を加工したときの大きな傷が入っていても、無造作に使っている。縁石としての

機能さえ満たしていればそれで良いというのだろうか。そうかと思うと寸分の狂いもなく、

近代的なビルの装飾がなされていたりする。アンバランスが大きい。

 教会が実に多い。ここボストンは入植者によって、いち早く開かれた町だとのことで、そう言った

意味からも教会が多いのかも知れない。いかにも伝統があるような古い教会が多い。

 その他、赤煉瓦作りのビーコンヒルやサウスビレッジと同じ頃の建物なのだろうが、重厚で

歴史を経た、重みがある建物が町全体に建ち並んでいる。アメリカ版の小京都と言ったところだろうか。

大きな通り値面した建物は赤煉瓦作りの古い建物、一階には色んな店が入っている。

若者達

元気のいいのは、どこの国も若者達だ。そして、みんな個性的だ。決して、日本のように雪駄が

はやると雪駄ファッション下駄がはやると下駄、長い髪が流行すればみんな長い髪、そんな

ことは全くないようだ。着るもの、はくもの、身につけるもの、一人として同じ服装の者はいない。

見事と言っていい程だ。一つだけ流行を上げるとすればタトーだろうか、つまり入れ墨だ。

これはかなり多くの若者がやっている。アメリカ全土の流行のようだ。もっとも最近では

ペイントファッション等もあるというから、あるいは偽物かも知れない。かわいい顔をした

若い女の子達がしていると、私達の感覚ではえっ何でと思ったりする。やはり、日本人としては、

流行とはいいながら何となくなじめない。最近では日本でも流行しているらしい。

 ローラースケートで街の中をすいすいと走っているのを見ると、実にうらやましい。スケート

ボードやローラースケートを通勤や通学の足代わりに使っている人もいるようだ。自動車の

間を縫うようにして走っていても誰も文句を言う人はいない。

ローラースケートをスイスイと乗りこなす若者達

 ボストンは都会だ。従って、いろんな人がいる。楽器を使って芸を売っている人、手品や

曲芸をして客を集めている人。みんなそれで日銭を稼いでいるようだ。老人がバイオリンを

弾いて金を稼いでいる。しかし、誰一人見向きもしない。これも又、アメリカなのだ。

電車

 安全で安い乗り物。地下鉄なのだが危険はない。居眠りをしていても間違いはない。コインの

ようなトークンというものを使って、切符替わりにしている。しかも、定期をもっている者は

日曜日に限って、同行者一人は無料というサービスがある。これはいい。トークンは1枚85セント。

駅さえ出なければ乗り換えは自由だ。しかし、この地下鉄のホームは実に暗く、汚い。

駅の管理に、ほとんど金をかけていないのだろうか。電車が入る時刻や発車する時刻を知らせる

放送もない。駅員はたいていの場合、一人だけのようだ。全ては自動化されている。こうやって

費用を抑えて、運賃を安くしているのかも知れない。それはそれで良い。

 この電車、地上で見るとちんちん電車を少し大きくした感じだ。運転もへたくそで急停車、急発進が

多い。つり革にしっかりつかまっていないと倒れてしまう。まあ、安いのだから仕方ないか。

電車はボストン、ブルックリン、ハーバードを結んで走っている。

チャールズリバー

ボストンの中央を流れる大きな川「チャールズリバー」、この先は海だ。

 この川はボストンのシンボル的な存在だ。ほとんど滞留しているようなゆるい流れだ。従って、

船で沖合に出てもほとんど流れを感じない。川を挟んで片方がダウンタウンやビーコンヒル、

そして娘の通う学校、ボストン大学。もう一方がハーバード大学やマサチューセッツ工科大学

など、名だたる有名大学の街、ケンブリッジとなっている。

道路信号

 誰も信用していない。頼れるのは自分の目と耳。DO NOT WALKと待ったの手のひらサイン。

これが歩行者に対する止まれ信号。でも、車が来ないと分かったら、みんな渡っている。

適当なのだ。それでも事故はないようだ。かえって、注意するからいいのかも知れない。

個性

 アメリカ人はいい意味で個性的、Dwightいわく、アメリカ人は自分のしたいことをする。

そして、人のしていることには干渉しない。良い意味での個人主義の国のようだ。

 一方、街のどこに行っても障害者用のトイレがある。それも日本のように、特別に作った

感じではなく、ごく当たり前に作ってある。障害者だけでなく、誰でも使え、もちろん車椅子でも

入れる。日本では、とても一人では出歩けないような街の中も、障害を持った人が、

電動車椅子に乗って、一人で気ままに街を出歩いている。困った時は、誰でも気軽に

手を貸してくれるからなのだろうか。障害者も健常者も区別なく、ごく自然に一緒に暮らして

いるように見える。これも、障害を個性の一つと見て、暮らしているからだろうか。

 自分と他人、それぞれの個がしっかり確立している。そして、誰もが生きていく権利がある。

そういう思想が根底にあるのではないかと感じた。

チップ

 ホテルでもレストランでもチップがいる。ホテルの場合は、ル−ムサービスに対して払い、

レストランだとテーブル担当に対してチップを置いていく。料金の15パーセント位。

この計算が又大変。タクシーに乗った時など、料金メーターとにらめっこで計算していた。

聞けばこのチップが、この人達の収入とか。何とも客泣かせの制度ではある。計算の

出来ない者や、不得手の者はどうするのだろう。多すぎても損だし、少なすぎても気の毒だ。

いっそのこと、日本のようにサービス料でとられた方が、お客としては気が楽でよいのだが。

コミュニケーション

 一言でいって親切だ。電車に吊革がなく、うろうろしていると、おばあさんが自分の身体に

捕まれと言ってくれる。ホテルから街に出ようとしていると、この町は夜が冷えるから上着が

いるよとか、道を尋ねれば、同じ説明を3回も繰り返し教えてくれる。その上に、街でやる

行事まで説明に付け加えて教えてくれる。そして別れ際には必ず楽しんできてね、と一言

添えてくれる。それが又実に自然だ。

 この国の人はどんなモラルをもっているのだろう。いろんな人種の多いこの国では、お互い

への気遣いが、お互いに声を掛け合う事によって、うまく保たれているのかも知れない。

お互いのコミニュケーションを作る努力、それが自然に習慣化していったのではないだろうか。

そんな気がするアメリカでの一週間だった。サンキュ、エクスキュウズミイ、ユーアーウエルカム。

こんな言葉も街の中で人と人とがすれ違う時に、自然に交わされる。そんなことは日本のどこにもない。

これは、もっと見習うべき事なのではないだろうか。

人種差別

 本文中でも少し触れているが、差別があったと今でも思っている。多くのアメリカ人は親切で

心優しい人だとは思うが、中には間違った考えを持った人がいるのも事実であろう。

 私達が入ったレストランは黒人や私達のような黄色人種の姿をほとんど見かけなかった。

多民族国家のアメリカとしては、これだけでも異常な雰囲気のレストランだったと言えなくはない。

恐らくは、日本人など滅多に訪れることはないのではなかろうか。テーブル担当の彼が、

私達が日本人だと知っての上で嫌がらせをしていたかどうかは分からない。

彼らの目から見れば、中国人も朝鮮人も日本人も見分けがつかないのに違いない。

従って、あえて日本人だから差別をしたとは思わないが、明らかに肌の色や顔つきの

異なる人間への蔑視か差別意識ではなかっただろうか。

 表向きはあくまで自分の責任であるかのように振る舞っていたが、その行動は全く無礼

極まるものであった。私が武士であるならば、恐らくは刀を抜いて即刻無礼打ちにしたかも知れない。

差別をする側にはさほどの思いはなくとも、される側にとっては自尊心を大いに傷つけられるものである。

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