冬の淡路を訪ねて


淡路島は本州と四国の間にまたがる大きな島です。先の阪神淡路大震災では北淡町をはじめ大きな被害のあった
島です。古事記の中で淡路島は国作りのところにも出てくる歴史と伝統のある島でもあります。
今は本四架橋の二番目の連絡橋として四国側に鳴門大橋、本州側に明石海峡大橋があります。二つの橋によって
陸続きの島になりました。
淡路海峡大橋を渡りきったところにサービスエリアがあります サービスエリアから神戸方面を 今回は子供たち夫婦を入れ家族6人でXIV淡路(エクシブ)を宿泊先にして淡路島の観光をしました。観光とはいえ
冬のこと、ましてや物見遊山の旅行ではありませんから、あまり、あちらこちらへ行ったわけではありません。XIV淡路
は洲本市にあります。洲本市は紀淡海峡を望む海辺の町で、淡路島の真ん中当たりに位置します。
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XIV淡路の部屋からの展望 ![]()
豪華な造りの一階ロビー ![]()
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家族そろって楽しい食事のひととき 幾皿かの一つ、豪華な食事がここの売りです ここには水軍(熊野灘を本拠とする海賊であったといいます)であった安宅氏が三好氏の命を受け、淡路平定の
拠点となる城を築いたのが始めとされています。海の利を生かした海上交易なども盛んに行われていたのではない
でしょうか。その後、城主は入れ替わりましたが、脇坂安治が城主となった時、城の大改修を行うとともに洲本市の
基礎となる町を整備したようです。太平の世となった寛永19年には城も必要ではなくなり廃城となったようですが
石垣は今でも残っています。
城のあった三熊山山頂からは東西南北が見渡せ、ここが城を築くのに最適の地であった事が伺えます。一方
には茫洋たる紀淡海峡が広がっています。遠くには紀伊半島を望むことも出来ます。現在、洲本港から関西空港
に連絡船が出ています。橋がなく離島だった頃には、もっと多くの連絡船が各地に向けて出ていたのではないで
しょうか。
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洲本城の城跡から洲本市内を 洲本市にはきれいな海岸があります。大浜公園として海水浴などで賑わうようです。砂浜の一方には古い大きな
松林があり国道と海辺を遮っています。さすがに、この季節、一人の観光客も地元の人も見かけませんでした。
天気が良かったこの日は寒さを感じることもなく、早春の日差しの中で海辺の風は心地良いくらいでした。砂の中
には小さな桜貝もあり、一緒に散歩したRちゃんが一生懸命集めていました。砂は白く、泣き砂のように歩くと
ぎしぎしと音がします。きめの細かい花崗岩の砂です。
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白砂青松と言うにふさわしい海岸の景色です 洲本市は古い町のようです。地図を見ますと関西空港にも船が出ています。明石海峡大橋が開通するまでは
もっと多くの船便があったのではないでしょうか。また、ここには洲本温泉があります。海岸沿いにたくさんのホテル
や旅館が建ち並んでいます。今回私達が宿泊したXIV淡路はこの温泉街の少しはずれにありました。町はずれ
には大きなショッピングモールも出来ており、新しい町づくりが行われているようです。近隣に大きな工場はない
ようですから、これからも観光地や行楽地として町づくりがなされるのでしょうか。
ホテルの近くの海辺には住吉神社がありました。小さな神社ですが、きれいに整備されていました。歴史ある神社
のようです。この周辺で不思議なものを見つけました。石や岩に興味のある私だから気がついた事かも知れません。
大きな岩の中に丸い小さな石がいっぱい詰まっているのです。川底の石をコンクリートで固めたように見えますが
明らかに岩なのです。おそらく海岸に堆積した砂礫が固まって岩になったものであろうと思われます。それが隆起
したのか、あるいは海の水位が下がったのか、とにかく陸地に現れたもののようです。
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ホテル近くの住吉神社、ホテルの裏通りの景色 神社の海岸の岩は小さな砂礫の集まりでした そう言えば洲本城の石垣にも、この岩がたくさん使われていました。この海岸あたりの石が大量に切り出されたの
ではないでしょうか。すでに海岸では相当風化が進み、崩れた岩から大小の丸い石がたくさん転げ落ちていました。
最高の上天気に恵まれた二日目、灘黒岩水仙郷に出かけました。水仙郷は二カ所あります。立川水仙郷は人工的
に植裁をされたものだと聞きました。私たちが訪れた灘黒岩水仙郷はホテルから海岸や山道を車で40分くらい走った
海辺にありました。一方を海に面した急斜面から、谷間となっている一方の山肌にかけて、一面の水仙が咲き乱れて
いました。一本だと控えめな匂いの水仙ですが、このように群落ともなれば、その匂いは強烈です。しかし、決して
いやな匂いではありません。Rちゃんが盛んにキンチョールの匂いだと言っていましたが、そういえばそう感じられる
ような匂いです。上から見下ろしても下から見上げても絵になる風景です。
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水仙郷は春爛漫、こんな可愛いメジロも来ていました ![]()
水仙郷の谷間、斜面は水仙で埋め尽くされていました ![]()
斜面の一方は海です。紀淡海峡が大きく広がっています。 ![]()
山頂にほど近いところから見下ろした景色 売店の前では水仙が束にして売られています 淡路から帰りには北淡町にある震災記念公園に行きました。ここには巨大な風車が回っていました。最大出力
600kwという風力発電装置です。
この風車が目印の震災記念公園には先の阪神淡路大震災の震源地となった野島断層が保存展示されています。
野島断層の一部を大きな屋根で覆って展示しているのです。隣には野島断層が庭を横切っている民家も当時のまま
残されていました。古い断層は何度か目にした事もありますが、大きな被害をもたらした真新しい断層を目にするのは
始めてであり、当時はもっと生々しいものであったろうと思われました。
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震災記念館の大きな風力発電機、記念館の中にはこんな断層が保存されています ![]()
大きな断層が走っています。側溝も折れ曲がっています。 ![]()
上下のズレと横方向のズレが起きています。生け垣はそのまま複雑な形になってしまいました。 ![]()
記念館の横に保存されている民家です。家のすぐ際を断層が走っています。 至る所に液状化現象が見られます。 ここへ来る途中、北淡町の町の中を通ってきましたが、真新しい家が多く道路も新たに付け替えられ、震災後の
復旧が進んでいることが伺えました。と同時にその被害が大きかったことも感じられました。ともあれ震災の傷は
表向き癒えたようにも見えますが、町の復興工事もまだ行われており、これからと言うことも少なくないのではない
でしょうか。
2003年4月3日掲載
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