セピア色の町「鞆」
鞆の浦は古くから風待ち、潮待ちの港として発展してきた町です。従って、単なる港町と言うよりは、どことなく歴史と
伝統を感じさせる町です。町の中を歩いてみますと船の道具を売る店、昔は船で運ばれて来た品物を商いしていた
思われるような店構えの商家、地酒として古くから有名であった保命酒の造り酒屋等辻々に見かけます。古き良き
時代がそっと息づいているような町並みです。
古い土蔵作りの商家の一角 寺町通りを歩きますと小さな町にしては不釣り合いなほどに大きなお寺が軒を連ねています。軒瓦には三つ巴の模様
があり、同じ風待ち潮待ちの港として栄えた下津井の町にもどこか似ています。複雑に入り組んだ道路が余計に町並み
の古さを感じさせます。町並み保存と町おこしを兼ねて色んな工夫が見られます。店の奥は食事どころ、表は民具の
展示場と言った家や、保命酒の店先では試飲もさせて貰えます。
冬の風物詩とも言うべき干し魚 海岸に足を運びますと冬の風物詩ともいうべき魚の干物が所狭しと並べられています。サヨリ、デベラ(小さなカレイ)、
舌ヒラメ、干しダコと言ったものが風に揺られています。その下では下ごしらえを終えた魚が山ほど積まれていますし、
頼めば気さくに小売りもしてくれます。観光客が次々に訪れては買い求めていきます。道向こうの魚屋の店先にも
干した魚と、今まで生きていたという生きのいい魚が売られています。沖には仙酔島が見え、カモメが干し魚を狙って
群れています。
ここのくずしもの(魚のミンチ)の天ぷらは味の良いことで定評があります。油臭くなく噛めばしこしこと歯ごたえがあり
ます。私も干し魚とくずしものの天ぷらを少しばかり買って帰りました。今晩の酒の肴です。
阿伏兎の観音様
観音様をおまつりしたお堂 沼隈町から鞆に抜ける途中に阿伏兎の観音様が祀られています。婦人病やお産に霊験あらたかな観音様と言うこと
で多くの参拝者があるところです。お堂は海に突き出た高い崖の上にあります。海岸にせり出した岩石の上に更に石垣
を築いています。この上にお堂は建っているのです。朱塗りの建物は少し色褪せていますが、いつでも参拝できるように
扉は開かれたままです。狭いお堂の中の壁にはたくさんお乳の形をした願かけ用の作り物がぶら下がっています。作者
の思いが込められており形も大きさも様々です。これをお祀りし祈願して貰うとお乳の出が良くなるのだそうです。
私と家内は久々に、この地を訪れました。家内はすっかり忘れており、私の記憶も少し薄れていました。お堂に行く道
には、以前来た時にはなかった小さな門が出来ており、一瞬、間違ったのではないかと引き返しかけたほどでした。
海は午後から風が出始め、小さな波が立っていました。何艘かの釣り船が小さく見えます。ここは大きな入り江に
なっているのです。お堂の手前には数軒のホテルがあります。魚料理を味わいに来る人達で賑わうところです。ホテル
の厨房の横には大きな水槽があり、鯛がたくさん泳いでいました。しかし、客の賑わいもなく少し寂しい阿伏兎の観音様
の周辺でした。
みろくの里「いつか来た道」
ジェットコースター、メリーゴ−ランド、観覧車もある遊園地 古いアミューズメントパークです。何がメインなのか分かりませんが西部劇のコーナーもあれば、プールもあり、小さな
日本庭園もあれば、芝生の広場もあります。メリーゴーラウンドや観覧車、ジェットコースター等もあります。園内は
比較的手入れも行き届いてきれいに整備されていました。
私達が訪れた目的は再現された昭和30年代の町並みを見る事でした。大きな建物の中に昔懐かしい町並みの一部
が再現されているのです。トリスバーや有楽町を走る電車と町並み、日劇のミュージックホールや飲屋街、下町の民家
や駄菓子屋、本屋やレコード店、そしてキャバレー等々。郵便局もあれば駅もありました。それぞれの店や街の角毎に
酔っぱらいの格好をした人形がいたり、靴磨きの人形がおかれています。

寿司屋の暖簾をくぐると、中には鉢巻き姿の寿司屋の大将の格好をした人形がいて「いらっしゃい」と、大きな声を
かけてきます。一瞬びっくりさせられます。電車の音や町の喧噪さも再現されています。全ての時間がのんびりと
過ぎって行った昭和30年代の街の一齣です。街角には石原裕次郎の映画ポスターもありました。
私達が子供だった頃、今とは全く異なった街の姿がありました。駄菓子屋で買ったニッケ紙のどぎつい色で口の中を
真っ赤にしていました。そんな昔を思い出しながら歩きました。もちろん、その道沿いには本物の店もあって、おみやげ
を売っていますし、お昼時には食事も出来るようになっています。どこからどこまでが本物の店で、どこからどこまでが
作り物の世界なのか区別のつかないような一角もありました。
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映画館もあればトリスバーもある ひょっとすると貴方の街の一角にも、まだ、こんな風景が残っているかも知れません。うらぶれた家並みの壁には
大きな薬の看板が色褪せたままで残っていたりして。もちろん、作り物ですから本物の町並みにはほど遠いもの
でしたが、それでも何かしら懐かしい思い出がよみがえり、ほほえましさを感じながら歩きました。
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