沖縄最後の日は朝から南国の日射しが戻ってきた。海は珊瑚で出来た白砂に南国の太陽が

照り映えて、コバルトブルーに輝いている。早速食事の後、海岸を歩いてみる。修学旅行生達が

待ちかねたように、水辺ではしゃいでいる。白い建物と青い海、いかにも南国の旅そのものだ。

翌朝は天気が回復し青空の元、宿泊したホテル前の海岸にて

 ホテルを後にして、最後の見学先である首里城へ向かう。首里城は見事なまでに再建されていた。

かつて沖縄に在住していた四国の人が書き残したという、わずかばかりの資料を元に再建して

いるという。20数年前に来た時には守礼の門しかなかったが、今は壮麗なお城が再現されている。

  

再建された首里城は外観も中身もきれいな建物であった

全体は朱塗りで異国情緒が漂う、NHKのテレビドラマ「琉球の風」でも撮影に使われた

朱や緑といった原色に近い塗装が、異国情緒を醸し出している。お城の中も漆等をふんだんに

使って玉座が再現されている。こうしてみる限り、沖縄はと言うよりは琉球はといった方が正確かも

しれないが、中国文化の影響を強く受けているように思える。やはり、ここは文化も生活習慣も

異なる独立国家だったのだ。お城を出て少し歩くと、沖縄では珍しく戦災にも遭わず、焼け残った

一角がある。長い急な石畳の坂道を下る。ほとんどの家が戦後、建て直しているが、この通りは

沖縄でも唯一アメリカ軍の艦砲射撃にも破壊されなかったところだ。各家の庭や軒先には鉢植えが

並べられ、美しい花が南国らしい雰囲気を醸し出している。

  

沖縄戦で唯一戦禍をを免れた場所で石畳が続く坂道

道の両側の民家の庭は手入れが行き届いており美しい花が咲き乱れていた

 観光バスは首里城を後にして一路那覇市内へ向かう。那覇では最後のショッピングと昼食を

兼ねた自由行動だった。ヤチムン(焼き物)通りから牧志公設市場へと道は続く。市場の中で

買った魚を2階のレストランで調理して貰う。何ともユニークで贅沢な昼食だ。玉島から来ていた

同年輩の夫婦に相席をさせて貰う。

那覇市一の牧志市場、店内には肉や熱帯の魚が所狭しと並んでいた

店内では元気のいいおばさん達の客を引き留める声が聞こえる

 食事の後、ショッピングをする。おみやげ用のパイナップルのおいしくて安い店を探し、送って貰う。

産地直売よりも安い。やはり消費地であることと、沖縄の人達の台所となる市場だからだろうか。

公設市場は建物の中にあるが、周辺の道の両脇にも小売店や露店がたくさん並んでいる。

 その他、泡盛なども買って、おみやげ物は一通り揃った。後日談となるが、パイナップルは

明くる日の午後には家に配達された。遠いと思っていた沖縄は、こんなに近い観光地だったのだ。

 お礼の手紙を出した城山さんからは、折り返し電話があった。当山さんからは手紙が届いた。

二人ともまた是非又遊びに来て下さいということだった。

 二十数年ぶりの沖縄は、依然、問題の多い基地の島であることには代わりはないが、一方基地に

依存しなくても生きてゆけるように、異国情緒あふれる観光の島に、生まれ変わりつつある

ようにも見えた。少なくとも、うわべだけはそう見えたし、思えた。今は、長く沖縄に平和の日が

続くことを祈りつつペンを置きたい。

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