砂漠の国ナミビア
11月25日(木)
ウオルビスベイ入港と砂漠でディナー
砂漠の国ナビビアに到着した。入港前から空は曇っていた。砂漠の国だからいつも晴天だと
思っていたのは勘違いだった。というのもこの海域には寒流(ベンゲラ海流)が流れ込んでおり
海水温が低く、そのために霧が発生しやすいのだ。そういえば以前、テレビでのナビブ砂漠の
特集で海岸近くの砂漠では霧が発生しやすいと言っていたのを思い出した。
遠くには白く長い陸地が見え始めた。後で分かったことだが、これが海岸近くから内陸部へ
続く砂丘であった。港が近づくに連れて船が多くなってきた。中には小型の漁船があった。その
周辺には海鳥が群がっていた。この海域は魚が多いのか、漁船を遠巻きにするようにイルカ
の群れがいた。また、オットセイがたくさん泳いでいた。
寒流に乗って生活をしているようだ。この内の一匹がトパーズ号が岸壁に横付けするまで船縁
で腹を見せて遊んでいた。意外に人懐こいようだ。
トパーズ号は午後二時頃、ウオルビスベイのメインポート八番埠頭に着岸した。入港は早朝が
多く午後二時というのは珍しい事である。
ウオルビスベイ(ナミビアの港)に入港
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なだらかに続くうす茶色の丘のようなものはすべて砂丘だった。(写真左)
港が近くなったときタグボートが迎えに来た。(写真右)
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トパーズ号の向かう先には港が小さく見え始めた。(写真左)
砂丘が延々と続く今まで見たこともないような景色だったので大勢が上甲板に出て入港を見ていた。(写真右)
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海にはよほどたくさんの魚がいるようで船のスクリュウが巻き上げた水の中に餌を見つけたカモメが群がっていた。(写真左)
海面には巨大なクラゲが数匹漂っていた。(写真右)
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船には慣れているのだろうか。一匹のオットセイがトパーズ号の近くで恐れ気もなくいつまでも遊んでいた。(写真左)
トパーズ号をバックに家内。(写真右)
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さすが鉱物資源が豊富だと言う国だけあって輸出用なのか大きな石があった。(写真左)
港のすぐ向こうは住宅地になっていた。また、これから船に積み込むのだろうか石炭の山積みがあった。(写真右)
恒例の事ながら早速トパーズ号の外壁の塗装が始まった。
この日のツアーはナミビアの「砂丘でディナー」だった。出発時間は夕方の午後5時15分に
なっていた。出発までには十分時間があったので一度部屋に戻り支度をした。夜は気温が低く
なるとのことで少し厚着をしていくことにした。このツアーは総勢212名という大集団だった。
いつものようにブロードウエイショーラウンジに集合した。そして、添乗員の誘導で港近くまで
迎えに来ていたバスに乗った。既にゲートの外では地元の人達が土産物を並べ始めていた。
バスはウオルビスベイの町を抜けると、そこからは荒涼たる不毛の大地が広がっていた。
そして海岸から数キロメートルの内陸部に延々と砂丘が連なっていた。こんな砂漠が延々と
南アフリカからアンゴラ国境近くまで続いているそうで、その距離は1500キロとも2000キロ
とも言われていた。そんな中に点々と町があるようだった。
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港近くの一般民家、何かしら独特の壁の色だった。(写真左)
交通量は非常に少なかったが大きな道路だった。(写真右)
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街路樹の多くは写真のような椰子であった。この椰子の木の根元は地中から吹き出した塩で白くなっていた。(写真左)
窓から見た街の郊外の景色。見渡す限りの砂漠であった。(写真右)
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翌日行くことになっていたデューン・セブンを車窓に見ながら横を通り過ぎた。手前には鉄道が走っていた。(写真左)
前を走るバスがすごい砂煙を巻き上げながら走っている。車の中まで入ってくるのではないかと思うようなすごさだった。(写真右)
砂漠の中には道路と鉄道と送電線が真っ直ぐに伸びていた。町から町の間が離れており
日本に比較してえらく効率の悪い国だなどと俗な事を考えながらバスに乗っていた。
港を出て30分近く走ったであろうか。着いたところは砂丘が連なる砂漠のど真ん中であった。
砂丘と砂丘の間に白い大きなテントの屋根だけが見えていた。やがてバスはこのテントから少
し離れたところで停車した。
砂丘と砂丘の間には大きなテントが張ってあり、テントの前には大きなたき火があった。また、
通路には紙袋を風よけにしてロウソクの照明が置かれていた。テントの周辺には灯心に日を
灯した燭台が並んでいた。まるで砂漠の中の王様のディナー会場のようであった。
こんなところに常設のレストランがあるわけでもなく、私達ピースボートツアー客用に作られた
仮設レストランに違いなかった。テントは周辺も囲ってあり、屋根の下には紗のような薄い布が
あり二重になっていた。むろん床には砂が舞い上がらないように絨毯が敷いてあった。心憎い
ばかりの演出だった。恐らくジャパングレースやピースボートのスタッフが私達の到着前に現地
入りしてセットしたものに相違なかった。
ディナーが始まるまでには時間があった。早速、砂丘に登るもの、周辺を散策するもの等、
思い思いに行動を開始した。こんな時でも片時もじっとしておられないのが日本人であった。
砂丘周辺にはわずかながら植物が生えていた。これらはわずかながらの水分をよりどころに
生きていた。そのためか奇妙な形をしたものが多かった。驚いたことに草食動物のものであろう
と思われる糞も落ちていた。いったいこんな不毛の大地に何を餌にして生きているのだろうか。
周辺で時間待ちをした私達は準備が完了したとのことでテントの中へ入った。テントの中には
すでに照明が入っていた。そして、白いテーブルクロスの中央にはダチョウの卵が置かれ、花
が飾ってあった。また、イスにも白いカバーがかけてあった。
準備された料理はダチョウの肉や鶏肉、羊の骨付き肉等の焼き肉だった。その他、色んな
煮込み料理があってどれから食べようかと迷うほどであった。
砂漠でディナー
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着いたところは砂丘のど真ん中。(写真左)
それぞれに早速、砂丘をバックに写真を撮った。(写真右)
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バスはテントから少し離れたところに駐車した。そこから大勢の人が砂丘が作り出す不思議な景観を楽しみながら歩いた。(写真左)
人が踏み込むことのない砂丘には様々な風紋が残っていた。まるで新雪の上を歩くような気分だった。(写真右)
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同じように見える風紋だが色んな形のものがある。(写真左)
見渡す限りの砂丘だ。こんなところに一人だけ取り残されたら出てこられないのではないだろうか。(写真右)
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砂は実に肌理が細かくさらさらだ。少しつつくだけでこのように流れていく。(写真左)
砂の中には色んな微粒子がある。中でも石英が多いようだ。まだ砂になっていないこんな石英もたくさん転がっていた。(写真右)
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家内と親しくなった友人。二人は他の人と一緒に砂丘をどんどん登っていきやがて小さくなった(写真左)
若者達は元気がいい。いち早く手近にある砂丘に登り始めた。(写真右)
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私は砂の中にある色んな小石を観察していた。そして新雪とも言うべき砂の上に「砂の惑星」と書いた。(写真左)
一面がスクリーンを思わせるような砂丘の壁をバックに。(写真右)
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こんなところに何があるのだろうと思っていたら白い大きなテントが建っていた。(写真左)
まるで砂漠の王様になったような気分にさせてくれる立派なテントだった。(写真右)
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肉料理の準備が終わった頃、テントの中に入った。(写真左)
各テーブルには生花の他、ダチョウの卵などが飾ってあった。乾杯。(写真右)
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ビュッフェ形式のディナーだったが実に色んな料理が並んでいた。(写真左)
外ではこのように大きなコンロで焼き肉を作っていた。(写真右)
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今日の準備をしてくれた現地スタッフ達。(写真左)
テントの外ではこんな照明が並んでいて心憎いような演出だった。(写真右)
まるで海草のミルを思わせるような砂漠の植物。点々と周辺部に生えていた。
どうやらこんな植物でも餌にしている動物がいるようで糞が落ちていた。
本来ならばゆっくりと時間をかけて食べるご馳走だった。にも関わらず食べきれないほどの
料理を取り込んで、がつがつ食べたらさっさと席を離れる人が多かった。出発の9時までには
相当時間があった。ゆっくりとしていた私達ですら時間的な余裕があったのだから、他の人は
暗闇の中で何を考え何をしていたのだろうか。
上空には相変わらず厚い雲があった。ぼんやりと月明かりらしきものは見えるのだが形には
ならなかった。砂丘の稜線が薄明かりの中で幻想的だった。そんな暗闇の中で歌声が聞こえて
きた。船内でウクレレを練習している人達の一団が歌を歌っていた。私達もその中へ合流して
歌を歌った。月の夜の砂漠で思い出す歌は、みんな同じで誰からとはなしに「月の砂漠」の歌が
始まった。みんなで「月の砂漠」を歌っている頃から雲が切れ始め、薄雲の間からおぼろ月が
顔をのぞかせた。思わずみんなから拍手が湧いた。みんなの思いが通じたのだろうか。
こうして、あるものはたき火の周りで、あるものは飽きることなく砂丘に登って周辺の景色を
楽しみ、あるものは歌を歌って砂丘の夜のひとときを過ごした。
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食事が終わったら外に出てたき火を囲んで歌が始まった。ウクレレクラブの人達が中心になって童謡や唱歌をみんなで歌った。(写真左)
明かりと言えば先ほどのろうそくとこんな灯油のランプだけだった。(写真右)
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寝転んで見上げるとまん丸いお月さんが出ていた
寝転んでいる家内と満月。
期待した満天の星空は見えなかった。海岸近くの砂丘には常に薄い雲が懸かっていて星の光を遮っていた。
それでも月を見ることが出来ただけでも幸せだった。思わずみんなの口から月の砂漠を・・・♪♪という歌が出た。
この日、上空には雲があって満天の星空は見えなかったけれど、行き届いた心温まる演出
で楽しいひとときを過ごすことが出来た。この日の企画をしてくれたジャパングレースやピース
ボートスタッフのみなさん、そして、この国のスタッフの人達に心から感謝しながら夜の砂丘を
後にした。
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船に帰り着いた頃はすっかり夜のとばりがおりていた。船のデッキから町明かりを写してみた。(写真左)
もう夜は更けていた。デッキには誰もいなかった。(写真右)
11月26日(金)
ナミブ砂漠とスワコプムンド
この日の見学も盛りだくさんだった。近場の見学ではあったが、早朝からブロードウエイショー
ラウンジに集合した。昨晩のツアーに比べれば少し少なかったが、それでも130名という集団
だった。
最初に着いたのはデューン・セブンという砂丘だった。港から一番近いところにあるこの砂丘は
海岸から7キローメートル離れたところにある砂丘と言う意味でデューン・セブンと呼ばれていた。
遠目には小さく見えた砂丘だったが近くでは見上げるような高さだった。
途中まで登り、あまりのきつさに登るのを諦めて下に降りた。靴の中には砂がいっぱい入って
とても歩きにくかった。家内は山頂まで行って降りてきた。山頂は風がきつく、そのためか顔中
に砂が着いていた。
ここも観光スポットの一つであり砂丘の下にはトイレや簡単な休憩所が作られていた。休憩所
には申し訳程度にフェニックスなどの木が植えられていた。ウオルビスベイでもそうであったが、
これらの木々を維持するためには大量の水が必要だ。その水は地下150メートルから汲み上
げられているそうだ。実に貴重な水であった。
町の中の街路樹の下は白くなっていた。水をやると地中に含まれている塩分が浮き出てくる
のだ。日本では考えられない現象であった。港近くの整地では塩が地表に吹き出して霜柱の
ようになっていた。すごい塩分であった。この国は周辺国へ塩を輸出できるほど製塩が盛んで
あった。この国の製塩はピンク色をしていることで有名だった。
デューン・セブン
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翌日は一番に昨日通り過ぎたデューン・セブンいう大きな砂丘に行った。
ここは観光地の一つらしく公園らしからぬ公園があった。多少の植物が植えてあり簡易トイレのようなトイレが一つあった。(写真左)
遠くから見るとなだらかな砂丘に見えていたが近くから見ると意外に高く途中まで登ってあきらめた。(写真右)
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砂漠固有の植物だろうか。塩をまぶしたような白っぽい植物だった。(写真左)
昨日も見た海草のミルに良く似た植物。(写真右)
周辺は平坦な砂礫混じりの砂漠が延々と広がっていた。
さて、私達は砂丘で遊んだ後、ウエルウイッツア・ドライブに出発した。ウエルウイッツアとは
聞き慣れない言葉だが植物の名前であった。この植物は日本でも何度か紹介されていて、日本
名を「奇想天外」といった。この植物はナビブ砂漠の固有種であった。1ミリ成長するのに1年
かかるという植物で、既に数百年間、砂漠という過酷な条件下で生き続けているというものも
少なくなかった。
外見はよじれた葉がぐねぐねと地表を這い、とても二枚だけの葉には見えない奇妙な形をして
いた。松科の遠縁に当たる植物だとの事で小さな松笠のようなものを付けていた。奇想天外
(ウエルウイッツア)は十年もその上も雨が降るのをひたすら待っていて、雨が降ると花が咲き
受粉をするとの事だった。雌雄異株だそうで、同じように見えても雄株と雌株があるようだ。他
の植物同様、砂漠という特殊な環境に適応して生きていた。
砂漠という特殊な環境がこのような植物を作り出したのか、それともこういう環境に適応しな
がら砂漠へ進出していったのだろうか。奇想天外はその名前通り、砂漠という過酷な環境で
生きながらえてきた他の植物と同じように、実に奇妙な形と生活を営んでいる植物であった。
また、数が少ないのではないかと思っていたが、私達が走った道沿いだけでもたくさんあった
から、砂漠全体ではかなりな数が残っているものと思われた。願わくばこのままの環境を維持
して世界的のも珍しい植物を絶やすことのないようにしたいものだ。
砂漠の生き物は他にもいた。あちこちに散乱しているウサギの糞に似たものは何の糞だろう
か。また、甲虫を見かけた。これはナビブ特有の甲虫で、夜間、砂漠に漂う霧を体に付け、霧が
水滴になるとお尻を高くして顔に集め飲んでいるようだ。私達が見つけた時は日中で、体に水分
は残っていなかった。それなのにお尻だけは高くしてじっとしていた。
砂漠の生き物たち
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荒涼とした砂漠の仲にこんな施設があった。どうやら変電所のようだが柱の多くは木製のようだ。
雨がほとんど降らないこの国ではこれで十分なのかも知れない(写真右)
俗に言う「フンコロガシ」とか「スカラベ」と呼ばれている昆虫のようだ。この昆虫は夜間砂漠へ流れてくる霧を
自分の体につけ、それで水分補給している。従って集めた水が口のほとりに来るようにお尻を高くしている。(写真右)
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上記と同じ昆虫、同じ場所に同じ方向を向いて二匹いた。頭を向けた方向から霧が来るのだろうか。(写真左)
見渡す限りの荒涼たる砂漠である。さすがにここまで来るとどんよりと空を覆っていた雲はなくなっていた。(写真右)
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ウェルウィッチア・ミラビリス (和名を奇想天外)と言います。見てのとおり非常に奇妙な形をしています。
生涯、たった二枚の葉が伸び続けるのだそうです。滅多に雨が降ることのない劣悪な環境で数百年も
生き続けています。
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この形からはとても想像がつきませんが、松の遠縁に当たる植物だそうです。そう言えば中心部から松ぼっくりに良く似た
ものがたくさん出ていました。これが花だそうです。(写真左、中)
枯れた種を近接撮影したもの。(写真右)
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どこまでも青い空と広い砂漠。二人とも思わずこんなポーズをしてしまいました。
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三台のバスでここまで来ました。(写真左)
周辺には奇想天外以外にも砂漠という特殊な環境で細々と生きている植物がたくさんありました。(写真右)
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こんなところで何を食べて生きているのでしょうか。こんな形の動物の糞が落ちていました。(写真左)
厳しい環境の中でも生きていく植物があり、その植物を生きていくより所として動物がいて、
その動物の排泄物を食べて生きている昆虫がいる。砂漠の中にも食物連鎖はあるのです。
これは水の溜まった跡です。雨が降らないときには十年近くも降らないときがあるそうですから
砂漠に生きるもの達にとって如何に水が大切なものか良く分かります(写真右)
ナビブ砂漠で見かけた植物達
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ナミブ砂漠で見つけた植物です。ほとんどの植物が葉らしい葉を持っていませんでした。
細い密生した枝にかろうじて緑らしいものが見えます。(写真左)
地を這うように広がっているプチプチの丸いもの、これが葉でしょうか、それとも茎でしょうか。(写真右)
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全体と接写した写真です。太い枝の先端に多肉植物のような分厚い葉が付いていました。
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これに良く似た多肉植物は日本にも入ってきていますが、恐らく種類は異なるものと思われます。(写真左)
ウェルウィッチア・ミラビリス (奇想天外)の幼生です。とは言っても根を下ろして十年以上は過ぎているだろうとの事でした。(写真右)
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この植物も針のように細い茎が密生していました。その先端には赤い小さな花が幾つか咲いていました。
次に向かったのはムーン・ランド・スケープという場所だった。ムーン・ランドという言葉でも分
かるように月世界を思わせるような場所であった。月の表面を思わせるような風景であること
から、アポロ13号が月へ行って以降、名付けられたようだ。
確かに、異様な風景であった。植物はほとんど見当たらず、ごつごつとした岩ばかりの山が
見渡す限り広がっていた。大変古い時代の地層だとかで、それらが何億年という長い歳月を
かけて徐々に風化しているようだ。
岩山は灼熱の太陽に焼かれ非常にもろくなっていた。時間に余裕があったのでバスで谷底
まで降りてくれた。谷底には珍しくオアシスがあった。谷底であることから水が溜まりやすいよう
であった。谷底には椰子などの木々が茂り奇岩が連なる周辺の景色とは対照的であった。以前
ここでは野菜なども栽培されていたようだ。今は、住んでいる人は誰もいなかった。
この岩山にはナビブ砂漠最古の植物だと言われているものがあった。苔のような植物だった。
こんなものが生息しているほどこの地層は古く、かつ自然が残っている場所であった。これを
見ただけでも価値があったと言えるのではないだろうか。先のケニアで見た大地溝帯と言い、
ナビブの砂漠やムーン・ランド・スケープといい、今日、地球上ではめったに見ることの出来ない
自然を見ることが出来た。それだけでも十分価値ある旅行だと言えるのではないだろうか。
ムーン・ランド・スケープ見学
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まだ見たことのない月世界。月世界とはこんなものなのだろうかと思わせるような荒涼たる景色が延々と広がっています。
かつてここで映画「猿の惑星」の撮影が行われたそうです。興味のある方はどのシーンだったのか探してみて下さい。
映画監督でなくとも何か未知なるものを想像させるような景色でした。
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太古の地層がそのまま露出しているところです。今もなお崩壊を続けています。
やがてこの山も粉々になり砂漠や砂丘のようになって行くのでしょうか。
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岩山ばかりの谷底に下りていくとこんなところがありました。これこそ砂漠の中のオアシスです。
地中深くには水の層があって緑の多い環境を作り出しているのではないでしょうか。
かつてここで生活していた人が居たそうで野菜などを作っていたそうです。ここなら何とか生活していけそうな環境でした。
しかし、一番近い街とは言っても遠く離れています。そんな不便さもあって人々はここを離れていったようです。
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どこでもは写せないような紺碧の空と荒涼とした大地、そんな景色を背景に記念写真を撮りました。
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私達を乗せてきたバスとツアー客。すべてピースボートのお客です。(写真左)
家内ならずともこんなポーズをとってみたくなるほど雄大な景色でした。(写真右)
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ここには石版に彫られたビューポイントという案内板が立っていました。(写真左)
ここで実に珍しいものを見せて貰いました。この苔のように白いものは植物だと言うのです。
原始的な姿をとどめたまま生き続けているようです。(写真右)
12時を少し回っていた。私達はスワコプムンドに着いた。砂漠のはずれにある大きな町だった。
ナミビアはドイツの植民地だった時代もあり、町にはその当時の面影が今も残っていると説明
があった。この国特有のカラフルな建物が大通りを埋め尽くしていた。
町には白人もたくさん住んでいるようだった。通りに面してホテルもあれば土産物屋も本屋も
喫茶店もスーパーマーケットもあった。大都会のような高層ビルや自動車の騒音はなかったが、
人通りも多く賑やかな町だった。
私達はハンザホテルというところで昼食を食べた。このホテルは外観こそ中くらいだったが
中庭があり、中庭には色とりどりの花が咲いていた。白身の魚を使ったメインディッシュだった。
昼食後は中庭を少し見て町へ出た。初めに入ったのはスーパーマーケットだった。多くの人の
お目当てはここの特産だというマテ茶とピンクの塩だった。しかし、私達が入ったスーパーマー
ケットにはピンク色の塩はなかった。
私達は果物を買った。バナナとリンゴとオレンジだった。山積みされたものから買った。レジ
へ持っていくと少し待ってくれと言われ一緒に来るように言われた。このリンゴとバナナは一個
いくらというのではなく、グラム幾らという計り売りだった。日本では忘れられてしまった計り売り
のシステムが残っていたのだった。
そう言えばと思い出したのはフィリピンのスーパーマーケットでの出来事だった。あの時も店の
人が籠ごと持って果物のところへ行ったのは秤で計量するためだったのだ。それを知らずに買
うことが出来なかった愚かさにやっと気付いたのだった。目から鱗とはこのことだった。
その後、地図を見ながら海岸に行ってみた。海岸近くには緑地帯があり、椰子の木やサボテン
を初め、熱帯地方の花が植えてあった。Uターンをして灯台近くを通って町へ戻った。
町には日本人観光客があふれていた。みんなピースボートの人達だった。どうやら、各観光
コースに散った全ツアーのものがここに集まっていたようだ。私達は数軒の店に入ってみたが、
さして買うようなものは何もなかった。そして元のホテルまで戻り、ホテルで買った絵はがき4枚
を書いて投函して貰うように頼んだ。
砂漠に囲まれた町スワコプムンド
一方が海に面し、三方を砂漠に囲まれた町スワコプムンド。舌を噛みそうな町の名前はなかなか覚えられませんでした。
その町の入り口近くにあった川です。こんな砂漠の中にも細々ではあっても川の流れがあること自体不思議でした。
周辺には当然の事ながら植物が生えていました。
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昼食のために立ち寄ったホテルの中庭。緑が多く美しい花もたくさん咲いていました。(写真左)
ホテルのロビーと奥には私達が食事を食べた食堂がありました。(写真右)
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ピンクの塩を売っているというのでスーパーマーケットに入ってみました。
ところが先にこの町に入ったピースボートのツアー客が買ってしまいなくなっていました。
店内には果物、加工食品など品物は豊富でした。また、きちんと並べられドイツ人が作った町らしい几帳面さが感じられました。
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町の通りは広く彩りも豊かな家が建ち並び明るい雰囲気の街でした。
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街の外れ、海岸近くにはこんな緑地帯がありました。砂漠の中で暮らしていれば緑にあこがれるのは当たり前の事です。
これだけの緑地帯を維持していくためには、かなりな水が必要だと思われます。右の写真は家内。
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緑地帯の中央には大きな椰子が植えてありました。ここは町に住む人達の憩いの場でもあり散歩道のようでした。
写真左は私。
緑地帯の先には海岸がありました。恐らくこの沖合を私達の船は入ってきたのだと思います。(写真右)
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完成間近の住宅のようです。アパートでしょうか。少し変わったデザインの建物でした。(写真左)
再び街の中心地に向かって歩き始めました。街のシンボルとでも言えばよいのでしょうか。大きな灯台が建っていました。
周辺は公園のようになっていました。(写真右)
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灯台近くの大きな通り、ここでは露店がありました。木彫りの人形などがたくさん並んでいました。(写真左)
町の中心部のショッピング街。お洒落な店がたくさん並んでいました。高級品が多く、値段も決して安くはなかったようです。
家内とショッピング街。(写真右)
私達は午後三時過ぎにホテル前に集合し帰途についた。帰りは海岸の道を走った。船が港
に入るとき双眼鏡で見えた道路だった。そして、もう一カ所砂丘に寄って帰った。
どの砂丘の表面も風によって砂が常に動いていた。この風は海と陸地の温度差によって生じ
ているようだ。場所によってはかなり強い風のようだった。この風によって砂丘には風紋が出来
ていた。風紋は波打ったようにきれいな模様を作り出していた。
また、砂丘の表面が黒く見えるのは砂に含まれた鉄分のためだった。軽い砂が吹き飛ばされ
残った砂鉄が黒く影のように見えていたのだった。
再び砂丘へ
スワコプムンドから帰りに立ち寄った砂丘です。帰船リミットまで多少時間的余裕があったので立ち寄りました。
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ここは海がすぐ側に見えるところでした。ポーズをとっている家内とT.I君。(写真左)
大きな砂丘をバックに私と家内。(写真右)
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砂の山に登るとその先は延々と広がる砂山ばかりでした。(写真左)
その砂は砂鉄を含んでおり、重い砂鉄は風に吹き飛ばされることなく残り表面を覆っています。
従って、砂丘の表面が黒いのは砂鉄だそうです。(写真右)
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前の海が一望できる山頂にて。(写真左)
その海岸近くにも住宅地がありました。説明ですと別荘地だそうです。どこから来る人達の別荘なのでしょうか。(写真右)
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ここも観光地らしく砂丘を走る特別仕様の車などがレンタルできるようでした。(写真左)
これも砂漠に住んでいる昆虫のようでした。(写真右)
こうして一日をかけたツアーは終わった。決してナミビアという国のすべてを見尽くしたわけで
はなかった。この国には鉱物資源がたくさんあると聞いていた。それはケニア同様色んな地層
や土質を見れば分かることであった。遠くにはウランを採掘しているという山もあった。ここは
今も南アフリカの有力な会社が利権を離さないと言うダイヤモンド鉱山もあるようだ。
また、色とりどりのトルマリン鉱石が宝石として加工され売られていた。南アフリカの国境近く
には南アフリカのコイサン人の祖先に近いブッシュマン達が今も狩猟生活をしながら暮らしてい
るようだ。ブッシュマンは日本でも何度か紹介された事があった。日本人に良く似た表情の非常
に人なつこい種族だ。その人は確かニカウさんと言ったように記憶していた。こんな遠い国の
人達だったのだ。この国に来るには何度も飛行機を乗り継がなくては来られないという遠い国
であった。
一度港まで戻ってフラミンゴを見に行った。海岸にいるという話だった。海岸にいると言うこと
が信じられなかった。通常、フラミンゴと言えば浅い湖にいるものだとばかり思いこんでいたか
らだ。
海岸に行ってもフラミンゴはいなかった。双眼鏡で見ると遙かに離れたところに動くものがいた。
どうやらフラミンゴのようであった。今行って来たばかりだという人に紹介されオンボロタクシー
に乗った。日本ではどこを探してもないようなボロ車だった。この車に大人5人、運転手を入れ
ると6人が乗ってフラミンゴがいる海岸まで行った。
羽を広げると大きな鳥だった。羽の裏側は真っ赤だった。この鳥が空に一斉に飛び立った時
はさぞかし壮観であろう事が想像された。それにしても何故ここにいるのだろうか。餌は赤い色
をした藻だけではないようだ。
彼らは潮の満ち干によって場所を変えているようだった。従って、朝見た人はもっと港近くで
見たに違いなかった。私達が見ている間にも潮が引いていき、フラミンゴたちは港の方へ移動
していた。
フラミンゴを見に行く
私達はフラミンゴと言えばもっと内陸部の湖にいるものだとばかり思っていました。
ところがトパーズ号が停泊した港の近くにもたくさんいると言うことを聞きました。
そこでフラミンゴを見に行きました。
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ウオルビスベイというトパーズ号が停泊した港の方向を示している看板。(写真左)
その看板が立っているすぐ側は広い公園のようになっていました。グランドもあったそうです。(写真右)
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海岸近くにはカラフルな住宅が建ち並び、庭にはきれいな花がたくさん咲いていました。
それにしてもこんな立派な家に住んでいる人達はどんな職業の人なのでしょうか。
周辺には工場らしいものを見かけませんでした。
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小さな桟橋にはカモメたちが群になってとまっていました。(写真左)
空をフラミンゴが飛んでいました、羽裏の赤が鮮やかでした。(写真右)
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住宅が建ち並ぶ海岸は遠浅になっていてフラミンゴはここにいました。海の中にある何を餌にしているのでしょうか。
フラミンゴの群は潮の満ち干に従って移動しているようでした。
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私達をフラミンゴの群がいる近くまで運んでくれたタクシーの運転手。
とてもタクシーとは言えないようなオンボロ車でした。
港まで帰ってくるとまだこんなものを売っていました。
商売が忙しいお母さんの側には寂しそうにして男の子が立っていました。(写真右)
こうして、ナミビアの二日間は終わった。船は私達がトパーズダイニングルームで食事中に
港を離れた。この港では他の港での派手な見送りもなかったようだ。また、霧が濃くなってきた。
港の照明が別れを惜しむように霧の中で淡くにじんでいた。タグボートの上では陽気な船員が
口笛を吹き両手を振りながら踊っていた。
2005年3月17日掲載
2005年10月7日写真掲載
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