東京散歩(冬編)


この日の東京は雨が降っていました。講習会第一日目の朝のことです。宿泊先を出たときの周辺は薄暗く
12月の冷たい雨がぽつぽつと降っていました。東京都庁前から地下鉄で上野御徒町まで出ました。そこで
降り案内板をたよりに地上に出ました。昨日、下見をしておいた今日の講習会場の鈴乃屋が目の前にあり
ました。雨は一段と激しくなりました。どうやら本格的な雨のようです。しかし、さほど寒さは感じません。
早く出てきたのには理由がありました。湯島天神へ行くためでした。昨日、ここへ来るまでは湯島天神が
上野近くにあるとはまったく知りませんでした。あの明治の名作「婦系図」の舞台になったところです。「婦系図」
は泉鏡花が新聞の連載小説として書いたものです。それが舞台で取り上げられ一躍有名になりました。「湯島
通れーばー、思い出すー、お蔦、主税のー♪♪」と歌にも歌われています。
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湯島天満宮の本殿、境内に至る石段 ![]()
境内にも境内に至る石段の周辺にもたくさんの梅の木がありました。 これは境内へ至る一方の大きな通りです。 なるほど境内にも境内に向かう石段の脇にもたくさんの梅の木が植えられています。天神さんとは菅原道真
公の事です。菅原道真と梅は切っても切れない関係にあります。昨年の秋、九州旅行で太宰府天満宮に立ち
寄りましたが、ここにも梅の木がたくさんありました。道真公の作られた「東風(こち)吹かば 思いおこせよ
梅の花 主無しとて 春な忘れそ」というあまりにも有名な和歌にちなんだものでです。道真公と梅の木は切って
も切れない関係にあります。
話は戻ります。師走に入り新年を迎える準備が始まっていました。早朝にも関わらず本殿には明かりが入り、
赤い袴姿の巫女さん達がかいがいしく働いていました。こんな時間でも観光客はいますし、通勤の途中で立ち
寄ったようなお参りの人もいます。吐く息は白く冬の雨が遠慮なく肩先を濡らします。本殿正面の鳥居の向こうは
大きな通りになっていますが、さすがにここの人通りはありませんでした。
湯島天神を後にして元の場所へ引き返しました。まだ時間は早くアメ横に行ってみることにしました。これから
開店という店が多く、買い物客もいませんでした。運んできた荷物を車から下ろし開店準備に忙しそうでした。道の
ほとりに奇妙なものが立っていました。御影石で作られた彫刻です。猫にも見えカエルにも見えます。アメ横の
商売繁盛を願うお守りなのでしょうか。
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早朝のアメ横は雨が降っていたせいもあって人通りはまばらでした。 このシンボルは何をかたどっているのでしょうか。? 明くる日は冬にしては温かい良い天気になりました。昼の休憩時間アメ横に立ち寄ってみました。さすがにこの
時間ともなると人通りは多く大変な賑わいです。お客さんに呼びかける声も賑やかです。少し脇道に入るとかつて
神戸の三宮ガード下にあったような小さな店が、狭い通りを挟んで両脇にたくさん並んでいます。作りも扱っている
商品も三宮の場合とまったく一緒です。時計屋さん、装身具を売る店、バッグを売る店、輸入雑貨を扱っている
店などです。ちなみにアメ横もこれらの店もJR環状線のすぐ下にあります。上は電車がひっきりなしに行き来して
います。東京の下町のいつに変わらない風景です。
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一方、昼間、アメ横周辺はどの通りも大勢の人で大変な賑わいでした。 東京はいつ来てもネオンや明るく照らし出された看板がまぶしい町です。そんな東京ですが、年末やクリスマス
ともなりますとより一層きらびやかなものになるようです。葉を落とした並木には豆球が飾られ、豆球で形作った
装飾が色んなところに置かれています。光りの中に町があります。不夜城と言われる所以もこんなところにある
のでしょうか。今回は息子が働いている店に行くために夜の渋谷に出てみました。ここも通常のネオンや看板に
加えて豆球で飾られた並木がありました。
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夜の渋谷駅前周辺、電飾と色んな広告が色鮮やかでした。 浅草にも行ってみました。浅草でさえも電球で作られた五重塔がありました。この日の浅草はまだ宵の口だと
いうのに店仕舞を始めたところがたくさんありました。通常でも店仕舞は早いのでしょうか。外人の観光客が
三々五々訪れているだけの淋しい風景でした。日本人の観光客はほとんど見かけませんでした。ここは昼の
観光地なのでしょうか。人形焼きの店も店仕舞と称して饅頭の安売りを始めていました。
浅草寺の参道から少し離れた通りを歩いてみました。ここはこれからが賑わう時間帯なのでしょうか。どこにも
赤々と照明が入り営業中でした。ロック座、映画館、芝居小屋、寄席の劇場などです。それにしても人通りは
少ないようです。もっとひしめき合うほどの人通りかと想像していたのですが。
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浅草の仲店通り、夜の通りは人影もまばらでした。右の写真は浅草ロック座通りへ行く途中の通りです。 ![]()
浅草ロック座など演芸関係の建物が建ち並んだ通り、雷門地下鉄乗り場近くにあった電飾。 長い間、東京は何となく遠い存在のように感じていましたが、夏と冬、同じ年に二度続けて来てみて親しみの
ある街に変わりました。先日のテレビで孤独な人が多いという東京を紹介していました。お笑い芸人が自分の
芸の足しにと開いた「悩み相談」がけっこう繁盛しているという話題でした。これだけ多くの人がいながら孤独
だとは、どういうことでしょうか。もっと人と人との繋がりは出来ないのでしょうか。私の経験ではさほど冷たい
人ばかりではないように思えます。道を尋ねれば親切に教えてくれます。地下鉄の行き先が分からなければ
駅員さんが面倒くさがらずに教えてくれます。外国旅行の時のように嫌がらせを受けたこともありません。
若者が圧倒的に多いことと、多少、奇抜な服装やスタイルの若者達を見かけることが多いくらいで、岡山や
倉敷と何ら変わるところはありません。
人情が希薄になったのは田舎も都会も変わらない日本中の現象かも知れません。夏の東京しか知らなかった
私にとって、秋や冬のもっと行動しやすいシーズンを選んでもう一度来てみたいと思っています。東京は面白く
楽しい味わいのある街だと思っています。
2003年4月5日掲載
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