03年ミニ同窓会始末記


去る11月23日、24日と連休を利用して今年の同窓会旅行を行った。今年は倉敷同窓会が幹事となった。
神辺組がマイクロバスを準備して倉敷までやってきた。待ち合わせ場所は児島インター出口だった。ここで
倉敷周辺在住のものが合流した。
23日、10時に児島インターを出発し王子ヶ岳に行った。この日は前日までのお天気とは裏腹に素晴らしい
お晴天になった。晩秋の清々しい一日の始まりだった。昨日までの雨が大気の汚れをぬぐい去ったせいか
空気が澄んでいた。そんなわけで王子ヶ岳の山頂から眺める景色は、一年に一度あるかないかと言うような
素晴らしい眺めだった。遠くは四国の最高峰でもある石鎚連峰まで見る事が出来た。海も澄んでいた。この
美しさをどう表現したら良いのだろうか。王子ヶ岳の山頂からは前方を遮るものは何もない。360度に近い
展望だ。この日もパラグライダーの愛好者達がたくさん空を舞っていた。赤や青や黄色と言った色鮮やかな
パラグライダーだった。まるで絵に描いたような美しさだった。
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雄大な瀬戸大橋周辺の眺め、海は澄み朝日の中できらきら輝いていた。 ![]()
大空を舞うパラグライダー、そして海岸に広がる児島の町並み。 前日、懸念していた風もあまりなかった。穏やかな温かい朝だった。私達は山頂からの景色を十分楽しんで、
ここを後にした。元来た道を引き返し、むかし下津井廻船問屋に向かった。初めてだという同級生もいたり、
私自身も久しぶりだった。案内を依頼するとボランティアの人が大急ぎで来てくれた。中庭の日だまりの中で
この建物の由来や往時の下津井港の繁栄ぶりなどを聞かせて貰った。そして締めくくりは下津井節だった。
それも正調下津井節とおまけに伝馬船を漕ぐ時に歌う下津井節を聞かせて下さった。
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むかし下津井回船問屋の中庭、ボランティアの人の解説を聞く同級生、 ボランティアの人が歌う下津井節は往時の繁栄を思い起こさせる。 同級生達は早や買い物に忙しかった。ここで買い物をし、また外に出て行商のおばさんからも買っていた。
ここの方が中よりは安いとなどと言ってたくさん買っていた。やれやれ。ここを出て鷲羽山に向かった。今日
の昼食は鷲羽山レストハウスだった。この日はお天気が良かったせいか大勢の観光客でごった返していた。
ここからの展望も素晴らしく、逆光の中で瀬戸大橋が黒いシルエットになっていた。海は秋の日射しを反射
してきらきら輝いていた。温かい日射しが差し込む部屋に案内された。テーブルには既に昼食が並んでいた。
運転手さんの分も準備してくれる気の使いようだった。感謝感謝。車中で一杯飲み、ここでも軽くビールを
飲んで、ほんの少し酔ったところで外に出て記念写真を写した。この日のカメラ係はN君にお願いした。
鷲羽山レストハウスから見た瀬戸大橋。逆光の中で黒いシルエットになっている。 さて、ここを出て一気に総社を目指した。総社では備中国分寺周辺の観光と井山宝福寺の観光を予定して
いた。備中国分寺も大勢の観光客で賑わっていた。駐車場はすでに満車だった。仕方なく近くの空地に入れて
歩いた。国分寺周辺は春のようだった。菜の花が咲き、春に咲くはずの雑草も花を開いていた。やはり今年
の秋は温かいのだろうか。国分寺からコウモリ塚古墳まで行って引き返した。(コウモリ塚古墳は一説によると
黒媛塚とも言われており、黒媛の伝説とともに一般に公開された有名な古墳だ。)
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秋と春とが同居したような吉備路の風景、いずれも絵になる景色だ。右はコウモリ塚古墳の中、奥には石の棺が置かれている。 駐車したマイクロバスまで引き返し、井山宝福寺へ向かった。当初の予定には入っていなかったが、先日の
ニュースで境内に植えられた紅葉がきれいだと聞いていたから急遽行ってみる事にした。宝福寺の側は通る
事はあっても立ち寄るのは久しぶりだった。すでに大勢の人達が来ており、駐車場も満車に近いような状態
だった。駐車場には露天も出て賑わっていた。境内の紅葉は丁度、見頃だった。三々五々カメラを構えて
紅葉を背景に写真を撮っている人達が大勢いた。私達も何枚か、この境内で記念写真を写した。
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井山宝福寺の山門、山門をくぐると色鮮やかなモミジの紅葉が目に飛び込んでくる。 ![]()
今は雪舟の面影をたどることは出来ないが禅宗のお寺らしく落ち着いた雰囲気が感じられる。この日は紅葉見学に訪れた人達で 大変な賑わいだった。下は境内の美しい紅葉。 そして一路、今夜の宿舎であるウエルサンピア倉敷に向かった。日は西に傾いていた。傾きを増すに従って
大きくなり色も赤くなっていた。夕日の光りが高梁川の流れに反射して、絵に描いたような美しさだった。同級
生達に、この夕日が見て貰いたくて宿泊はサンピア倉敷にしたのだ。天候も良く、その上、時間帯も高梁川の
堤防を走る頃と重なり、夕日を見るための条件が揃っていた。
この日の宿舎は静かだった。他の宿泊者は少ないようだった。フロントマンの説明を聞いて、それぞれの
部屋に分かれた。HさんとH君は遅れて参加し、ここで合流した。部屋で一息つき、それから風呂に入った。
今日一日の疲れを湯に流し、その後は恒例の宴会だった。
宴会には大広間が準備されていた。カラオケセットや舞台のある大広間だった。総勢24名、大広間を埋め
尽くすのにふさわしい人数だった。ご馳走を食べ、酒が回り次第に賑やかになってきた。誰言うとはなしに
カラオケが始まった。カラオケの本が周り、希望曲の注文が次々に飛び出した。カラオケ係はN君が買って
出てくれた。興奮のあまり鼻血が出たものもいて、とんだハプニングに大騒動。女性同士のデュエットあり、
男性と女性のデュエットあり、次々にのど自慢が飛び出した。中には中学生時代密かにあこがれを抱きながら
告白出来なかった思いを歌に託して熱烈なラブコール等々。こうして、ひとしきりカラオケに酔いしれた後に
お開きとなった。お開きの前にはHさんの希望で大きな輪になってサライを歌った。
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全員が揃っての賑やかな宴会。明くる日、窓から眺めた水島コンビナートの一部 この部屋を出た後は恒例の二次会となった。外に出て行くわけにはいかないので、一部屋に集まり持って
きたものを広げての二次会だった。女性の中にはまだ風呂に入っていない人もいて、三々五々の参加だった。
十二畳という部屋も一杯だった。部屋の中ではカラオケというわけにもいかず、それぞれの思い出話や社会
へ出てからの話など、思い出話に花が咲いた。こうして次第に夜は更けていき名残惜しさもあったけれど
お開きにしてそれぞれの部屋に引き返した。
翌朝は深酒の割には目覚めが良かった。十分睡眠をとったからか酔いは残っていなかった。あれだけ会場
で盛り上がり、その上、部屋に帰って又飲んだのだが、楽しいお酒だったからだろうか。
気になっていたお天気の方も薄雲が出ている程度の良いお天気だった。朝風呂に入りゆったりとした朝を
過ごした。そして、食堂では今日帰るというH君の挨拶を聞いて彼を送り出し、我々も宿舎を後にした。
この日の予定は9時に出発して、サウスビレッジで買い物をしてから後楽園に向かう予定だった。予定を変更
し、このまま後楽園に向かうことにした。国道二号線はいつものようにたくさんの車で混雑していた。私自身、
何度来ても慣れない岡山市内だった。運転手さんも地理不案内との事で、市内に住んでいるN君に道案内を
頼んだ。後楽園は早朝にも関わらず大勢の人が来ていた。観光バスも何台か留まっていた。何と言っても
天下に名の知れた名園だった。そして観光の季節としても一番良い時だった。園内を一巡りして園内の茶店
で一休みした。ここの名物だという吉備団子を食べながら抹茶を頂いた。店の人が自慢するように黄粉の味や
香りが新鮮でおいしかった。そして、園を出て烏城に行った。ここは後楽園ほどの人はいはなかった。
烏城は築城を記念して近年化粧直しをしたばかりだった。金のシャチホコが青空をバックに輝いていた。烏城
は、その名の通り全体が黒を基調とした建物だった。黒い板壁と白い漆喰壁の白とのコントラストがきれいな
お城だった。お城をバックにみんなで記念写真を写した。
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後楽園の主要な建物、延養亭、そして中央にある池に浮かぶ周辺の景色。 ![]()
後楽園の園内を彩るモミジの紅葉。そして烏城とも言われている岡山城、岡山藩池田氏の居城だった。 下は後楽園の中での記念写真、右は後楽園前広場の大銀杏。 ![]()
そして後楽園と旭川の間の遊歩道を歩いて岡山県立博物館に入った。博物館には図書館建設時に出土した
昭和9年の大水害時の遺物が発掘され展示されていた。これら特別展示品を見て、バスのところまで引き返した。
バスから弁当を下ろし、旭川の河原に降りて食事にした。幸いにも、この日も温かく屋外での食事にも差し支え
なかった。あるものはビールを片手に、あるものはワンカップの酒を手にしての食事だった。食事の間中、笑い
声が絶えなかった。良くもまあ、こんなにたわいのない話題が尽きないものだと思うくらい、みんなのおしゃべり
は続いていた。
こうして二日間、今年のミニ同窓会は後楽園を最後に終了した。私達地元の者は、岡山駅まで送って貰いここで
散会した。神辺組の大半はマイクロバスで神辺方面へ、京都や明石の人は新幹線で家路についた。
同級生の多くは来年還暦である。前回の大同窓会の時、還暦になったら、もう一度、同窓会を開こうと約束を
していた。その時での再会を約束して、03年秋のミニ同窓会を締めくくることにした。
2003年12月15日掲載
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