映像の進歩「あかすけの一生」

今でも映像と言えば思い出すものがあります。それは小学校の低学年の時、繰り返し繰り返し見せて貰った幻灯写真です。今日では幻灯写真などとは言わずにスライド映写といいます。小学校には昔から使っていた幻灯機が
ありました。その頃の幻灯写真のフィルムは一枚一枚が別々になったものではなく、帯状になった長いままのもの
でした。一方に巻き取りがあって、コマ送りをしながら先生が画面毎の説明書き読んでいました。
その幻灯機で映し出された映像は「あかすけの一生」と言うものでした。「あかすけ」とは赤痢菌の事です。赤痢
感染を防ぐための啓蒙用のスライドでした。「あかすけ」がどんなところにいて、何によって運ばれ、どのような形で
みんなの体の中に入るのかと言うことを、子供達にも分かりやすく解説したものでした。
その頃は、テレビどころか映画もあまり見る機会の少ない頃のことでしたから、幻灯機で映し出される映像は全く
別世界のものを見ているような感じがしていました。
その後、映像と言われるものは様々に変化し発展してきました。まず、映画は白黒の時代からカラーになりました。
カラーになるのと、ほとんど時を同じくして横に長い画面のシネマスコープになりました。王様と私、南太平洋、ウエスト
サイド物語、サウンドオブミュージック等々、ミュージカルなるものがたくさん上映されるようになってからは、70mmと
いう大画面時代になりました。迫力ある大画面で見たベンハーや十戒や天地創造、アラモ砦などの映画には新鮮な
驚きと感動がありました。
こうして映画の分野ではカラーで大画面が定着していったようです。映画全盛時代にテレビジョンなるものが出来て
きました。これも初めは白黒でしたが東京オリンピックの頃からカラー番組の放送が始まりました。白黒時代はアメリカ
の輸入物の番組が多かったのですが、次第に国産のものが主流を占めるようになりました。テレビが映画に取って
代わったのもこの頃からでした。映画館のお客さんは完全にテレビに取られたのです。
テレビでは子供向けのアニメ映画がたくさん作られるようになりました。宇宙戦艦ヤマトや銀河鉄道999等です。
アニメの世界では発想をそのまま映像化出来ます。従って、SFものには最適だったのではないでしょうか。
一方、アメリカのハリウッドでは何百億という大金を投じたSF映画が続々と作られるようになりました。代表的な
ものは今も上映されているジョージルーカス監督のスターウオーズです。かつて、これらSF映画を作るには人形や
ぬいぐるみ、小さな模型を作ってコマ撮りをしていましたが、今はコンピュータでの製作が主流になっているようです。
その映像は実写と見分けがつかないくらいと言うよりは、どの部分が実写で、どの部分がコンピュータグラフィックス
か分からなくなっています。恐らく実写でこのような映像を作り出すことは不可能ではないでしょうか。それを実現可能
にしたのがコンピュータです。
こうして私達の子供の頃から、わずか4、50年くらいの間に映像というものが、ここまで進歩してきたことに驚きを
禁じ得ません。それにもかかわらず、あの薬品臭い学校の理科室で見た幻灯写真の「あかすけの一生」が強く思い出
として残っているのは何故でしょうか。私の単なる郷愁なのでしょうか。
2002年9月19日掲載
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