
底辺に生きる人達の人情味がそこはかとなく伝わってくるようなあたたかい映画でした。
原作は山本周五郎という作家です。この人の小説には貧しいながらも心優しく一生懸命生きてきた江戸庶民の人情味が
そこはかとなく伝わってくるようなものがたくさんあります。
こういった人情ものを描いて、この人の右に出る作家はいないのではないかと私は思っています。私は一時期、この
人の書いた小説に魅せられて次々に何冊も読んだ時期がありました。
今回の映画「雨上がる」は黒澤明監督が生前書き上げた脚本を元に、かつての黒澤ブレーンが中心となって制作した映画です。
物語は梅雨の雨で川止めをくった旅人達がたむろする安宿から始まります。主人公である剣術使いの浪人も妻を
伴っての旅の途中です。当分渡れそうもない川を見てあきらめ顔に宿に帰ってきます。宿の奥の部屋では妻が繕い物を
しながら夫の帰りを待っています。控えめで慎ましやかな妻、心優しく妻にも礼儀正しい実直な夫。夫婦間のほのぼのと
した情愛が伝わってくるような宿の一室です。表の相部屋では仕事にあぶれた旅人達が、いつやむとも知れない長雨に
暗く陰鬱な顔をしています。ともすればささくれ立った気持ちから小さないさかいは絶えません。
こんな様子を見るに見かねた浪人はそっと外に出ていきます。そして帰ってきた時には酒、魚、米をたくさん買い込み、
相宿の人達に思い切り振る舞うのです。宿の中はひとときの明るさと安らぎを取り戻し、いつしか歌や踊りが出て夜は更けて
行きます。奥の部屋にいる妻には表の賑わいが夫のもたらしたものだと分かっていました。この大盤振る舞いの金が
実は絶対にやらないと約束をしたはずの掛け試合で取った金であることを。妻は夫が膳を持って奥の部屋に帰ってきた時に、
二度とやらないと約束をしたはずなのにと夫を責めます。
来る日も来る日も続く長雨になす事もなくなまる体を持て余し、宿近くを歩くことが浪人の日課となっていたある日、偶然に
出くわした藩士同士のいさかいを止めに入ったところを殿様の目にとまり城に招かれることになります。殿様は素晴らしい
腕前を持ちながら何故浪人をしているのかと尋ねます。浪人は妻を伴って旅に出るまでのいきさつについて話します。
殿様は浪人の飾らない人柄にすっかり惚れ込み、藩の剣術指南になってくれと頼みます。厳格な家老達の言葉を入れ、
御前試合で浪人の腕前を見て結果が良ければ指南役に取り立てると言うことになります。
しかし、御前試合で見事な腕を披露して指南役は間違いなしというところまで行ったのですが、旅人への振る舞いのために
掛け試合をしたことがばれてしまい仕官はふいになります。
そのことを申し渡しに来た家老達に向かって浪人の妻はこう言います。
「貴方達木偶の棒には、夫が絶対にやらないと誓った掛け試合を何故したのか分かりますか」
妻はあの晩、掛け試合をやらないという約束を破った夫を責めては見たものの、あんなに喜んでくれた旅人達の姿を
みて、夫の優しさにあらためて気付き、そのことを家老達に言わずにはおれなかったのです。
こうして仕官をいさぎよく諦めて再び梅雨明けの眩しい光りの中を二人は旅に出ます。
人と人の心のふれ合いがほのぼのと描かれていて、映画のシーン一場面のように雨上がりの森を抜けて行く風の
ように何とも言えない爽やかさが心に残る映画でした。
かつては世界をうならせるような映画を世に送り出した黒澤監督が、晩年になってこの映画に描かれているような
飾り気もけれんみもないたんたんとした心境になっていたのだろうかと思うと、ことさらこの映画の持つ奥の深さを
感じずにはおられません。
そして、この映画は黒澤監督の名前を持ち出さなくても十分それ自体、鑑賞にたえうる秀作だと思いました。
この映画の監督である小泉尭史さんに心から拍手を送りたいと思います。
主演の寺尾聡さんは、この映画のために本格的に居合いを練習したといいます。撮影の際は真剣を使ったそうです。
彼のお父さん譲りのひょうひょうとした演技がとても自然で心優しい浪人にぴったりでした。御前試合のシーンなどは
それまでの柔和な顔が一変し、険客らしい引き締まった顔となり、とても演技とは思えないような迫力がありました。
慎ましやかながら芯のある武士の妻を演じた宮崎美子さんの演技も光っていました。この人はどの役柄でもそうですが
いつも明るさがあります。ともすれば浪人の妻は苦労を背負い込んだようになりがちですが、明るく前向きに生きる
武士の妻が、この人の雰囲気にぴったりの役柄でした。
三船史郎さんは三船敏郎さんの息子さんだそうですが、久々の映画出演とかで演技は多少ぎこちなくも見えましたが、
このぎこちなさが役柄である殿様の実直で一本気な飾らないところにぴったりでした。
背景となった長雨の続く薄暗い旅の宿、いろんな仕事の旅人がとまっています。それら旅人を演じた人達もそれぞれ
に多彩な芸歴を持った人達で固められており、この映画をより一層完成度の高いものにしています。
撮影は梅雨末期の激しい雨と大川の濁流から始まって、梅雨が開けて間もなくのからっとした晴れ間や、大川の水が
引き川底が見えるようになる頃まで長期に渡って続けられたようです。旅人達が梅雨明けの明るい日差しの中をいそいそと
旅立っていくシーンがうまく描かれていました。
思い出すと今でも梅雨明けの明るい太陽とさわやかな風がここまで吹いてきそうな、そんな感じが画面一杯に広がって
「雨上がる」という映画の題名にぴったりの美しい叙情的な映画に仕上がっていました。日本映画でしか描くことの出来ない
黒澤流の映画の表現とでも言えましょうか。久々に良い映画を見たような気がします。日本映画もまだまだ捨てたものでは
ないと思いました。 2000年2月14日掲載
|
|
|
|