
西暦2000年も瞬く間に過ぎてしまい、21世紀という新世紀になりました。新世紀になったとは
言え世の中不思議な事は数多くあります。たった数千年前の事が分からなかったり、一つの事が
解明されたら、更に次の疑問が起きてきて、いつまでたっても、この不思議と思う話題には事欠く
ことはなさそうです。
そんな話のいくつかを、関連するリンク先を紹介しながら、お遊び風にまとめてみました。興味が
ありましたら、私と一緒に、これら謎の世界に一歩踏み出して見ませんか。
関連リンクは当方が勝手にリンクさせて貰っています。不都合があればご連絡下さい。
不思議リンク管理人 2001年8月22日見直し改訂
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私は真言密教でいうところの「曼陀羅の世界」というのは、人間一人一人が持っている、それ
ぞれの心のありようを表現しているのではないかと考えています。
十人十色とか千差万別というように、十人いれば十人の、千人いれば千人の世界観があり、心の
持ちようがあります。同じものを見ていても、同じ生活環境にいても同じ時代に生きていても見方も
異なれば感じ方も異なります。それは、その人の育った時代とか環境とか経験とかお互いの性格が
異なるために、みんな、それぞれ心に感じるものが違うからだと思うのです。
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「考える故に我あり」とは、かの有名なプラトンであったかソクラテスであったか・・・・。 天文学を
研究しておられる茂木さんが、天文学を深くやればやるほど思いは哲学的なものになっていくと
言われています。
いったい、この「宇宙」はどうなっているのだろう。「宇宙の始まり」は、「宇宙の果て」は、と
考えれば果てしなく想像の輪は広がってゆきます。こんな事を考えるのは、考える人間が存在すれ
ばこそです。人間に探求心ある限り、見えない宇宙の果ても、やがては見えるようになってくるの
ではないでしょうか。
私達は長い年月をかけて、いろんな工夫の末に、宇宙の年齢もわかり始めてきました。では宇宙
の始まりはどうだったのか、本当に「ビッグバン」はあったのか、探求心は尽きることがありません。
茂木さんは、このように、宇宙は自らを探求できる人間を、この世に作り、進化させることによって、
宇宙自らの実体を明らかにさせようとしているのではないだろうかとも言っておられます。まことに
言い得て妙であります。
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「般若心経」はわずかばかりの経文の中に天地のありようを教え、人間の生き方を説いて
いるといわれています。「色即是空、空即是色」、この世のものは実体があって、その実は
何もないのだと説いているのです。
従って 、この世の中での出来事や苦しみや悩み事などにも、とらわれることなく生きてゆき
なさいと説いています。本当に、この世の出来事が釈迦の説かれるように、「空」であり仮の姿
であるならば、目先のことになどにとらわれず、もっと大らかに、みんな仲良く生きていこうでは
ありませんか。
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形あるものを分子から原子、更に小さな「量子」へと見ていくと、それは実体のない振動をして
いる光の集まりだといわれています。というのも「量子」自身は、形ある物に見えるときもあれば
振動している光のように見えることもあるからだそうです。般若心経でいうところの「色即是空」
そのものだとも言えるわけです。
従って、人の体も振動する光の集まりとも言えるわけで、その光の集合体が思い悩み、考え、
泣き叫んでいるわけであります。まことにもって不思議としか言いようがありませんし、お釈迦様
が、もし、そのことを知っておられて「般若心経」を説かれたのだとしたら、実に驚くべき事と言わ
ざるを得ません。
人間は、まことに迷い多く愚かなることを繰り返してきました。それは、この教典をつぶさに理解
すれば、今も昔も人間のやっていることは全く進歩していない、おろかな存在だという事をいやと
言うほど知らされます。
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人は何故「巨大なモニュメント」を後世に残したのでしょうか。「ピラミッド,仁徳天皇陵,
インカの遺跡,イースター島のモアイ,ナスカの地上絵」、今は跡形もなくなってしまった
バベルの塔等。時の権力者が権力を誇示するために築いたのだと言ってしまえば、それだけの
ものですが、私にはもっと他に理由があるような気がしてならないのです。
人は誰でも自分の生きてきた証(あかし)をこの世に、残しておきたいと思い、権力者であれば
あるほど、その思いは強いのではないでしょうか。自分の再生を願い、ミイラになり墓の中まで
従者を連れていきました。生きる事への執着は今も昔も変わらないようです。
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人間に「男と女」があるように、この世にあるものすべからく「対」になって存在します。
「電気のプラスとマイナス」、「磁石のNとS」、地球の南極と北極(地球は大きな磁石です)、
原子の中の陽子と電子。
ものの裏と表、世の中の浮き沈みと、人の生と死など、次から次へと考えていくと、次第に抹香
臭い話になってしまいますが、世の中、すべからくプラスとマイナスなのです。人生の浮き沈みは
世のならいです。悪い景気も時期が来れば必ず良くなると言うもの。そしてまた「おごれる平氏や
久からず」、いつまでも浮かれ歩いていると、いつ何処で足元をすくわれるか分かりませんぞ。
ご用心を。
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1999年7月ノストラダムスの予言は見事に、はずれました。そして「コンピュータの2000年
問題も杞憂に終わりました。ご同慶の至りと言っておきましょう。しかし、この種の問題、これ
からも起こらないという保証はありません。形を変えて発生する問題かも知れません。
コンピュータウイルスが繰り返し流行しているとも言います。新しいものには新しいものなりの
問題はつきものです。くれぐれもご用心を。
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死後の世界をかいま見た人は、一様に光り輝く「あの世」を見てきたと言います。経験の
ないものにとっては、そんなものなのかと、ただただ感心するばかりですが、「あの世」には
天国と地獄があるそうですから、現世においてせっせと功徳を積むことをお勧めします。
「チベット仏教」では死者を「あの世」に送り、再び「この世」に生まれ変わるまでの49日
間、「この世」にいる親族一同は、お経と線香、お灯明は欠かさないようにするのだそうです。
死者が冥界で迷い苦しむのを救うためだそうです。死者にとっての供養は必要な事なのです。
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白亜紀に最も栄えた「恐竜」は次の時代を待たずに絶滅してしまいました。彼らの絶滅に
関しては様々な説が述べられています。多くの動植物は限られた環境と食物連鎖の中でしか
生きていけません。蚕などは桑の葉しか食べませんし、多くの昆虫達にも共通のことが言え
ます。ライオンだって巨体を養うに足る肉が手に入らなければ生きてはいけません。
その点、「人間」という生き物はまことに雑食です。だからこそ今日まで生きながらえ、一つの
種で60億という数を数えるほどに増殖したのです。恐らく「恐竜」達は、草食恐竜も肉食恐竜
も一様に限られた環境でしか、あの巨体を養えなかったのだと思います。生きることへの多様
性を見いだすことの出来ない種は、環境の変化には大変もろいのです。
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平凡な人間は非凡さにあこがれます。いわゆる超能力というものにあこがれ、スプーン曲げ
などに挑戦してみたりしますが、悲しいかなスプーンはまったく折れも曲がりもしません。
それでも肩がこっただとか、腰が痛いなどといって、「つぼ」を指圧して貰うと、不思議なくらい
良くなったりします。外からも見ても、また解剖学的見地からも何ら変化のない身体に、「つぼ」
なるものがあってそこを押さえたり、針や灸をすえると不思議に良くなることは古くから経験的
に知られていました。「薬石効なく」と弔問客に挨拶をするときの「薬」とは「漢方薬」、「石」とは
「つぼ」にさす「針」の事です。今のように鋭くとがった針のない時代には、とがった石が針の
代わりだったと言われています。
そんな体の「つぼ」や「経絡」は、やはり存在するのです。でなければ効果などないはずです。
今日では「漢方薬」の成分もこと細かく分析され、どの成分がどんな病気に効くのかわかって
います。
しかし、そんな分析が出来ない時代に人間はどのようにして自然界にあるものの薬効を見分け
たのでしょうか。大いなる疑問です。多くの経験と失敗の繰り返しの中からとも言えなくはありま
せんが、少なくとも書物を著すことが出来るようになった時代には、すでに今日ある薬草の効能は
ほとんど明らかにされていたようです。とすれば、牛やウマが毒草を見分けるように、太古の昔、
人間にもそういう「能力」があったとしかいいようがありません。
科学なるものがなかった時代、それは生き物としての「能力」がとぎすまされた時代であったの
かもしれません。いわゆる「感」のようなものが、大変鋭い時代があったのだとも考えられます。
それが事実とすれば、それこそが超能力なのです。
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人の細胞はこの世に生を受け、しばらくすると次第に老化し始めると言われています。特に脳の
細胞は、ある年齢に達すると、どんどん死滅して数が減ってしまうそうです。このように人間の肉体
は老化という時間を確実に刻んでいます。
人は置かれた環境によって様々な時間を感じているようです。楽しいときの時間は短く、苦しいとき
の時間は長く感じるように、本来の時間とは別に、「感覚による時間」が存在するのではないかと
思います。
この宇宙の気の遠くなるような時間に比べて、人の一生のなんと短いことか。その短い時間の中
で私達は泣き笑い、苦しみ喜びながら日々を送っています。お釈迦様は言っています。そんな人の
苦しみも喜びも泣き笑いも、みんな「空」だと言っています。そんなことにとらわれずに、もっと自然に
のびのびと生きなさいと言っているのです。
金や物は、この世だけの約束事です。あまり執着し過ぎないように。生きていてこそ価値のある
ものなのです。生きることをこそ楽しみましょう。人間は、この大きな宇宙の塵ほどにもみたない存在
です。もっと謙虚に自然の一部として、悠久の時間の中を生きていきたいものです。合掌。
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