二つの映画

二つの映画を見比べて何かを書くには多少遅きに失した感じもしますが、やっと二つの映画を見終わりました。
「ハリーポッターと賢者の石」と「千と千尋の神隠し」です。ハリーポッターの方は映画館で見ましたが、千と千尋の
方はロングラン上映だったのにもかかわらず映画館には行けませんでした。
どちらかと言えば両方の映画とも子供向けの映画なのでしょうが、大人でも十分楽しめるような内容だったような
気がします。ある映画評論には両方の映画を比較して、「ハリーポッター賢者の石」の方は貴族趣味で少し鼻持ち
ならない感じがした。しかし、「千と千尋の神隠し」の方は庶民的で好感が持てたと書かれていました。しかし、単純
に両方を比較して云々するのは無理があるような気がしています。と言うのも、一方はイギリスを舞台にした映画、
一方は日本を舞台にした映画、そこには文化の違いも思想の違いもあります。恐らく、この批評を書いた人の頭の
中には、いずれも魔法や妖怪の世界のお話ということで、一面的に比較をされたのだと思いますが内容がまるで
異なります。
聞けばハリーポッターの方はベストセラーがあって、それがきっかけで映画化したのだと聞きました。イギリスの
お母さんが自分の子供達への寝物語に作ったお話だと聞いています。「ハリーポッターと賢者の石」と題された
今回の映画はシリーズ第一作だそうです。従って今後、第二作、第三作と原作が出版される限り続くのでしょうか。
この映画を見て感じたのは同じ魔法や妖怪の住む世界でも、私達日本人と西洋文化圏の人達とは感覚的に
ずいぶん異なるのだなということです。それと映画の演出によるのものかも知れませんが(残念ながら私は原作を
読んでいませんので)主人公のハリーと彼を取り囲む個性的に描かれた大人達や子供達、それぞれの人物が
特徴的に描かれています。これが、この物語を単なる魔法の世界のお話と言うだけでなく、面白く深みのある映画
にしているのではないかと思いました。素直で逆境にもくじけず冒険心のあるハリー、親友で少し臆病でとぼけた
ところのあるロン、しっかり者でおしゃまな女の子ハーマイオニー等、三者三様のキャラクターはこの映画を十分
楽しいものにしています。
千と千尋の神隠しは宮崎駿さんお得意の妖怪の世界です。宮崎さんの描く妖怪の世界には、いつもほのぼのと
した明るさがあります。その明るさが一連の映画をヒットさせた秘密のような感じがします。
私達が子供だった頃、家の中にはテレビもなければ満足なおもちゃもゲームもありませんでした。その代わり、
路地裏や神社の境内、野原や山や川など、周辺には遊びまわるところがいっぱいありました。そんな中を走り
まわりながら夢と冒険心をふくらませて大きくなってきたのです。宮崎さんの映画にはこの頃に通じる何かしら
懐かしいほのぼのとしたものを感じます。私達が大きくなってきた頃と映画の世界とがダブルのかも知れません。
宮崎駿さんは映画作りについて、ある週刊誌の中で次のように話しておられました。今の子供達に宮崎さんの
子供の頃と同じような夢や冒険心を取り戻させたい。だから、「となりのトトロ」や今回の「千と千尋の神隠し」の
映画を作ったのだと。そんな宮崎さんの思いが画面の中に感じられます。
宮崎駿さんは映画作りを通じて私達に何かを問いかけられています。そして、これから日本を背負って立つ
子供達に心豊かでたくましい人間になって欲しいと願っておられるのではないでしょうか。
私達の周辺からお化けが消え、妖怪がいなくなってしまいました。ある人は夜が明るくなり過ぎて、古いものが
どんどん壊されたからだと話しておられました。お化けや妖怪が住みにくくなった日本、いわく、お化けや妖怪は
自然破壊のバロメーターだとも言っておられます。まことに言い得て妙な表現だと感心しました。
私達は将来に残しておかなければならない光りまでも、今の時代に使ってしまっているのではないでしょうか。
東京の不夜城のような夜の明るさは自然破壊の象徴のような感じさえしてくるのです。
2002年9月19日掲載
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