
いったい今までに何人の中小企業経営者が経営に破綻を来たし、死に追いやられたことであろう。
商工ローンの日榮なる会社が借金の取り立ての際、法に触れるような恐喝まがいの事をしていたという事件から、
意外に根の深い事件へと新たなる展開を見せてきたようだ。
かつて銀行はバブル全盛期において、土地の買い占めに狂奔する業者達に多額の金を融資してきた。
バブルが崩壊してみると借金の担保に取っていた土地の価格は下がる一方で、すべては不良債権として手元に
残ってしまった。これらは取り立てや換金できないまま、多額の負債となって銀行の経営を窮地に追い込んでいる。
今、元役員の責任を問う裁判が行われている長銀などは、その最たる例であろう。
政府は銀行を倒さないために、何やかやと理由を付けては国民にその尻拭いをさせている。
いったい何のために、彼らの不始末を国民がしなければならないのだろうか。
国際信用だ、国民の不安材料を取り除くためだ、国民の預金を担保するためだといっているが、結局のところ、
銀行の放漫経営と監督官庁である大蔵省の不始末をおおい隠すための方便ではないのか。
私達サラリーマンが家を建てたい時、あるいは生活に困った時などに、銀行は親切に援助してくれたであろうか。
市民がお金を本当に必要とする時、銀行は決して私達市民の味方ではなかった。そんな銀行のために私達の
血税を使って欲しくない。
これまで大手銀行の救済に、いったいどれくらいの金が使われたであろうか。それらは将来、国民の負債として
重くのしかかって来るに違いない。
今回の事件にも、大手銀行がからんでいるという実体が次第に明らかになっている。商工ローンである日榮に金を
融資して、自分たちには法に触れて出来ないような事をやらしている。そうして、貸した金の利息を一見合法的に
稼ぐという方法だ。法に触れなければ何をしても良いというのだろうか。
バブル期の相手先は土地転がしの業者であったが、今度は市中金融のあくどい金貸しである。
相手が変わっただけで、やり口は全く変わっていない。そこには悪いことをしているという罪の意識も反省の
かけらも見られない。
いわゆるノンバンクといわれる小口金融もすべてバックには大手銀行がからんでいる。
銀行は自分の手を汚さずに荒稼ぎをしている。時代劇でいえば悪徳商人の裏で糸を引く悪代官のようなものだ。
その更に裏にいる大蔵省や政府は、さながら悪徳勘定奉行や幕府ということになるのだろうか。
私は借金の取り立てに追われて、死んでいった中小企業経営者の方達が気の毒でならない。
彼らは親企業からリストラを迫られ、挙げ句の果てに仕事を切られ、従業員に支払う金にも事欠くような有様で、
やむなく借りた金に違いない。
中小企業の1日も早い救済を!!
政府は大手銀行を救済する金があったら、これら、その日の生活にも困っているような中小企業者に金を融資
するべきだと思う。なんといってもこれらの人達が、戦後の日本経済を底支えして今日の日本を築き上げて来た
人達なのだ。
これらの人を見殺しにして大手銀行だけを助けるようなやり方には許し難い憤りを感じている。
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