公民館講座「犬養木堂翁」について学ぶ

この度、縁あって犬養毅さんの人となりについての研究成果を聞く機会がありました。犬養さんは岡山県が生んだ
明治から大正、昭和にかけて活躍した偉大な政治家です。私が犬養さんに興味を持ったのは「井戸塀」と言われる
ような政治家だったと言うことを聞き及んでいたからです。何故「井戸塀」なのかと言う事ですが、これは私財を投げ
売ってまでも政治に尽くした人のことを言うのだと聞いています。戦後の政治家にはないタイプの人です。実際に私財を
投げ売ったかどうかはともかくとして、政治を金儲けの道具とせず清貧に甘んじた政治家であったことだけは間違い
ないようです。ちなみに国連難民高等弁務官として活躍された緒方貞子さんは犬養さんの孫に当たる方だそうです。
犬養さんが活躍した頃の日本は、軍閥が台頭し満州事変を引き起こし、軍が政治にも少なからぬ影響を持っていた
時代です。政党政治を目指した犬養さんとは、当然、反りが合わなかったものと思われます。満州事変を早く平和裏に
解決したいと考えていた犬養さんに、凶弾を撃ち込んだのは必然的な帰結だったと言えるかも分かりません。昭和7年
5月15日犬養さんは77歳の生涯を閉じたのです。「話せば分かる」と言って凶行に及んだ海軍の青年将校を諫めたと
言います。犬養さんの心に去来するものは何だったのでしょうか。
今回、話を聞く機会を得たのは、私のサイトで何度か紹介をしているライフパーク倉敷の講座でした。講師は倉敷芸術
大学の教授である時任さんでした。先生は犬養毅の研究をライフワークとしておられ、犬養研究の第一人者と言っても
良いのではないでしょうか。何度か発表されている犬養研究の一つとして、今回、犬養さんに関わりの深かった3人の
人物を通して犬養さんを語っておられます。そして、この本は山陽新聞社から「犬養毅、その魅力と実像」という題名で
発刊されています。
本に書かれている3人の人物とは犬養さんと政治活動を共にした影の人物と言われている古島一雄さん、そして弟分の
ような存在であった尾崎行雄さん、そして犬養さん自身が常々関心を持っていた中国との深い絆を作るきっかけとなった
孫文さんです。とりわけ孫文との出会いは劇的で、その後の二人を占うには十分な事件でした。革命を目指していた
孫文は命を狙われ一時日本への逃亡を企てました。頼るもののいなかった孫文の事を聞いて手を差しのべたのが義侠心
に厚かった犬養さんだったのです。出会った時から双方相通ずるものがあり、お互いに何かをなすべき人物であることを
見抜いていたようです。
当時、軍部を中心とする国論は中国支配論に傾いていました。その中にあって犬養さんは日本が支配できるような国では
ないことを見抜いていました。幼い頃より漢学に親しみ中国に傾倒していた犬養さんとしては、敬いこそすれ中国を支配する
など考えられなかったに違いありません。彼はヨーロッパ列強に踏みにじられている中国に一日も早く政治的安定が訪れる
ことを心から願っていたようです。そのためにこそ孫文を助け色んな支援をしたのでした。安定した中国と手を組んでアジア
に対するヨーロッパ列強の浸食の手を払いのけたいという思いがあったのです。アジアの地はアジア人自身の手で守る。
そのためにはアジアの巨人である中国と手を結びたい。そんな思いがあったのではないでしょうか。
しかし、時代はそれを許しませんでした。孫文が政界を離れ、その上、若くして亡くなってしまったからです。亡くなる前に
かつて師と仰いだ犬養に長文の手紙を送っています。それには日本が朝鮮を植民地化し、中国にも触手を伸ばしている
事への批判が書いてありました。犬養さんにとっては心苦しい手紙であったに違いありません。
そして櫨構橋事件をきっかけに満州事変となり、軍部(関東軍)の独走が始まります。当時の軍隊は今日のような政府の
シビリアンコントロールではなく天皇が総帥権を持っていました。政治的には如何ともし難い状況にあったわけです。孫文
との約束や自分の信ずる中国政策の考えもあって独自に戦争終結を画策したのですが、すべて軍部の知るところとなり
暗殺へと繋がっていくのです。
犬養さんは刀剣の鑑定士としても一流の人でした。個人的には西郷隆盛や乃木希助を信奉していました。誠の武士と
して生きたいと考えていたようです。一旦は政界から身を引いていたのですが、請われて総裁となり自分の内閣を組閣
することになったのです。その時、すでに70歳を越えていました。潔い死に方を求めていたようです。5.15事件は大変
不幸な事件ではありましたが、誠の武士として生きたいと願っていた犬養さんにとって望むべき死に方ではなかったので
しょうか。
あの時代にあって、今日でも充分通用するような壮大なアジア構想を持った大政治家でありました。こんな気骨のある
スケールの大きな政治家が、日本にもいたことを心から誇りに思っています。
2002年6月17日掲載
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