イラク人の思い

イラク国内でのアメリカ軍は、フセイン政権を倒すことが出来た今も、片時も安心できるような状態ではない
ようです。相変わらずアメリカ兵は狙い打ちの危険にさらされていると言います。ありもしない大量破壊兵器
があると、大嘘をでっち上げて仕掛けた戦争でした。こんな不正義がまかり通るような世の中に、いつの間に
なったのでしょうか。
一説によると、アメリカの産軍複合体は冷戦が終わった時から、膨大な軍事力と兵器が使える場所を探して
いたと言います。そんな時、タイミング良く(犠牲者の方々には不謹慎かも知れないですが)9.11事件が起き
たのです。アメリカの口実は出来ました。オサマ・ビン・ラディンとアメリカのネオコンは裏で繋がっているとも
言います。湾岸戦争の時には共に戦った間柄ですから、裏で繋がっているとしても不思議ではありません。
アフガン攻撃時には懸賞金付きだったオサマ・ビン・ラディンやアルカイダ探しはどうなったのでしょうか。彼が
仲間かどうかはともかく、アメリカの戦争屋にとっては、戦争のための口実さえ出来れば良いのです。アフガン
での攻撃はテロの封じ込めでした。イラク攻撃は大量破壊兵器を持っているというのが口実でした。こうして、
とどまるところを知らないブッシュと戦争屋達は、適当な獲物を常に探しているように思えます。これは無法者
達が拳銃を手に肩で風を切って歩いていた西部劇の時代とまったく同じです。力ある者が世の中を征すると
いうアメリカの論理そのものです。
一方、長い間、フセインの圧制下にあったイラクの人達は、どんな気持ちなのでしょうか。長い間の抑圧が
なくなって、一息ついたのもつかの間のことでした。フセイン政権を倒してくれた事には感謝をしても、何もかも
手放しで喜んではおられないようです。アメリカ兵に占拠されたような状態を決して快くは思っていないはず
です。解放してくれた事には感謝をしても、自国を軍靴で踏みにじられることには強い抵抗があるに違いない
のです。
彼らの国は有史以前のペルシャ時代から続いた長い長い歴史を持っています。誇り高い伝統ある国家なの
です。アメリカのように、建国以来ほんの数世紀しか経たないような、成り上がり者の国家とは違うという思い
があるのではないでしょうか。そして、多様な民族が様々な興亡を繰り返してきた、したたかな国家でもあり
ます。そんな国を力で押さえ込むのは無理な事なのです。
戦後の復興という口実で日本も自衛隊を送ることを決定しました。本当に正しい選択だったのでしょうか。
イラク人の多くは、要らぬお節介はして欲しくないと思っているかも知れません。彼らが欲しいのは一日も早い
ライフラインの復旧や病院や医薬品等だと思います。そして何よりも欲しいのは安定した生活なのです。疲弊
した国を建て直すのに必要なのはお金です。そのお金のためには石油資源が必要です。しかし、石油の利権
はアメリカが自分のものにしようとしています。今後、イラクとアメリカの間では、石油資源を巡り大きな問題に
なってくるのではないでしょうか。
大量破壊兵器を隠し持っているという事からアメリカやイギリスによって仕掛けられた戦争ですが、アメリカ
こそクラスター爆弾や多連装ロケットシステムといった、一度に広範囲の相手を倒す事が出来る兵器を大量
に使いました。また、湾岸戦争の時にも、その後のコソボ戦争でも、あるいはアフガン攻撃でも劣化ウラン弾
は、多くの被爆被害者を作り出していると言います。劣化ウラン弾の放射能による影響は長く消えないと言い
ます。すでに被爆地近くの子供達に白血病が多発していると言われています。
アメリカ軍のイラクへの駐留が長引けば長引くほど、イラク人達の思いは複雑になるばかりです。その思い
は、フセイン時代とは異なった思いに変化して行くに違いありません。今までアメリカ軍を歓迎していた人達
でさえ、もういい加減にしてくれと言い出しかねません。そんなところに自衛隊が出かけていって何をしようと
いうのでしょうか。
エジプトのムバラク大統領は今回の開戦後に、こう語ったと言われています。「この戦争は恐ろしい結果を
招くだろう。我々はオサマ・ビン・ラディンを100人抱かえ込むのだ」。何かしら空恐ろしい気がしてくるような
話です。
2003年8月17日掲載
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