
患者のとり違えや消毒薬の注射等と、おおよそ、おきてはならないようなことが、次々に明るみに出ている。
いったいどうなっているのだろか。うかうかと入院もできない様な恐ろしい出来事だ。
聞けばそれもほんの氷山の一角で、表には出ないような事故や事件がいくらでもあるらしい。
しかし、あっても被害者側には、それを立証できるだけの確証や知識を持ち合わせていない。
従って、裁判に持ち込んでも、泣き寝入りか、和解に応じるしか仕方がないというのが実状のようだ。
たとえ裁判に勝ったからといって、かけがえのない命は帰ってこない。
繰り返される医療事故の背景には、病院側の利益追求に走りすぎた面があるのではないか。
利益追求は人の削減や労働条件の切り下げへとエスカレートいかねない。看護婦は睡眠不足と疲労で
注意力が散漫になってはいないだろうか。ただでさえ間違いを犯しやすい人間である。
相手が機械であるなら、ああ壊れたで済むけれど、相手は人間である。かけがえのない命なのである。
今日多発している医療ミスの根は深い。厚生省ももっと真剣に取り組むべきことだ。病院サイドに任せて
いたのでは絶対に、この種の事故は減らないだろう。政府と病院サイドが一体となって真剣に、防止に
向けての対策を考えて貰いたい。 2000年4月25日追記
人間は間違いを犯しやすい
人間は間違いを犯しやすい動物だ。それは私たちが自分自身の行動を見ていても良くわかることだ。
卑近な例では、自動車の運転に一番良く現れているように思う。後で考えると、何であんな事をしたんだろうとか、
あんな事をしなければ良かったのにと、反省させられることが実に多い。
だからといって、人の命を預かる現場で、うっかりミスが許されて良いはずはない。ミスを犯しやすいからこそ、
ミスを事前に防止する方法を考えてほしいと思っている。
私は化学工場で働いているが、化学工場で怖いのは、危険物をたくさん取り扱っていることだ。
人的災害、火災爆発、いずれも人身に被害を及ぼすばかりか、ひとたび起こると、大変な大事故になりかねない
危険性を常にはらんでいる。従って設備の運転には細心の注意を払い、なをかつ、二重三重のチェックを行うように
している。それぐらいしても十分すぎると言うことはない。
ましてや、人間の医療看護に当たる現場においては、尚更のことである。
何故指差呼称なのか
かって旧国鉄では連結器の操作ミスを防止するために、指差呼称運動を始めた。これは、またたくまに全国に広がり
国鉄以外の現場でも、たくさん実施されてきた。そして、現在も続けられている。なぜ指差呼称をするのか、それは、
人間がうっかりミスを犯しやすい動物だからだ。なんの気なしやってしまう行動ほど怖いものはない。それは習慣的に
なっている行動に、より強く現れる。だからこそ、行動を起こす前に自分自身が、これから取ろうとする行動に対し、
自覚を促す意味で「何々よし!!」と、声をかけて指差呼称をしている。
個人の責任で済ませてはいけない
従って、医療現場においては、間違いは必ず起きるという前提で、防止のための措置をこうじて貰いたいと思っている。
決して、一人の看護婦や医者のミスにしてはいけない。医療現場全体が共通に抱えている問題なのだという意識を
持って貰いたい。一人の人間の責任にしてしまわずに、真剣に対策を考えて貰いたい。
私の工場では、運転開始当初、2度ほど大きな事故を起こしてしまった。それ以来、徹底してその対策をとってきた。
その結果、幸いな事に、いままで大きな事故は起きていない。しかし、だからといって、明日どんな事故が
起きるとも限らない。常に事故やミスを犯さないという一人一人の自覚と、二重三重のチェック体制を作ることが
事故防止につながっている。事故を未然に防止することに、大きな設備投資を必要とする事はない。ちょっとした
心遣いと知恵を働かせば、出来ることも多い。どうか真剣に受け止めて、考えて貰いたい。
2000年4月26日補記
相変も変わらぬ医療事故
院内感染が話題になり始めてもう何年になるでしょうか。いっこうに解決のめどさえつかぬままに相変わらず
新聞紙上をにぎわせています。抗生物質の耐性菌による院内感染、透析による肝炎の感染等、いずれも
生死に関わるような恐ろしい感染症です。病院の中の事だけに患者の側としては防ぎようがありません。
医療現場での反省や改善はもちろんのこと、厚生省も許認可だけでなく、その後の監視活動を強化して
貰いたい。そして、私達も自衛手段として、例えばホテルの五つ星のように病院のランク付けをするような
患者の側から見た医療機関のチェック組織のようなものがあっても良いのではないかと思っています。
薬について
現代の医薬の進歩には素晴らしいものがあると思う。多くの命がこれらの新薬によって救われていることは間違いない。
一頃のように、老人が一抱えもあるほどの色んな薬を窓口で受け取っている姿こそ目にしなくなったが、それでも、
こんなに色々必要なのかと思うくらい薬をくれる。医者にしてみれば何が効くか分からないので、とりあえずは
ということもあるのかも知れない。それにしても多すぎる。
先日も知り合いが、急に病院から呼び出され、医者から、今、服用している薬に副作用があるらしいとのことで、別の薬に
するからと言われて憤慨していた。大事に至らずに幸いだった。しかし、今まで何人の人が薬の副作用で犠牲になってきた
ことだろう。
特に輸入されたものの中には、とっくに問題点が指摘されていたにもかかわらず、厚生省は販売差し止めもせず
多くの被害者が出て、遅ればせながら対応をとるということが少なくない。厚生省が本来の仕事をしていないのではないか。
薬害エイズや薬ではないが脳膜の移植によるヤコブ病などは、その典型といえる。
又、医療サイドに望むのは窓口で渡す薬の名前と何の薬か、副作用はあるのかないのか、分かっている情報を
患者に知らせてほしい。私の近所の町医者は事細かに書いた紙を薬に付けて渡してくれる。
これが、今後の医療のあるべき姿だろう。
院内感染
本当に恐ろしいことが現実のものとなっている。あろう事か病気治療のために入院している病院で感染し急死すると
いう事故が相次いで報告されている。
20世紀になって医療は急速に進歩した。別けても細菌による死亡率は急速に低下した。かつては不治の病と言われた
結核もたいていは治癒出来るようになった。これほどまでに治癒率が高くなったのは抗生物質という薬のおかげだ。
戦後ペニシリンというものが普及し、その後次々に新しい抗生物質が開発され、細菌に対しては怖いものなしといった
状態にまでなってきた。ところが細菌の側もさるもので、これら抗生物質に耐性が出来てきた。細菌も抗生物質の
開発に歩調を合わせるかのように進歩してきたのである。今や、どの抗生物質をもってしても殺すことの出来ない
細菌がどんどん増えつつあるというのだから始末が悪い。これは明らかに人間サイドの責任である。こうなることは
十分予測できたことで、その前に対策を打っておくべきことだった。闇雲に開発のみを急いで肝心の細菌の耐性の
問題をないがしろにしていたからだ。
細菌対策は振り出しに戻ってしまったと言われている。戦後わずか50年ばかりの間の出来事である。
今までの苦労は砂上の楼閣であったのか。早急に何らかの対策が必要となっている。
2000年2月26日追記
麻酔医が自ら薬物中毒により死亡するというとんでもない事故が起きてしまった。薬物におぼれる若い医師達の
ことは薄々耳にしていたが、現実にこのような事件が発覚したとなると、その根は深く、また広いと言わざるを得ない。
倉敷市内の病院でも同じような事が行われていたと言うことを耳にしたのは随分以前の事になる。
そのうわさ話を聞いた時には、あっても不思議な事ではないような気がしていた。今日ほど人心が乱れ、その範囲が
医療現場にまで及んでいるとしたら恐ろしい事である。私達は何を信じて病院を訪れたら良いのであろうか。
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