ジオカスタトロフィ(人類大破局)

今年を振り返ってみますと東日本や北海道は冷夏と多雨、西日本は猛暑と小雨といった典型的な異常気象の
年でした。ここ数年ずっと続いている現象なので慣れてしまいましたが、異常気象であることに間違いはありません。
江戸時代であれば典型的な飢饉の年になっていたのではないでしょうか。
西日本地方では9月になっても、更には10月になっても三十度近い気温の日が何日も続きました。そして台風の
進路も東よりばかりで、西日本地方に雨らしい雨は一滴も降りませんでした。秋雨前線もなく、通常の秋の雨もまた
降りませんでした。今、大工場地帯を抱えている水島コンビナート地区は深刻な水不足の中にあります。今も給水
制限は続いていますが、このまま推移すれば水不足は更に深刻になるのではないでしょうか。
暑い暑いと言っていた9月、10月から急に12月のクリスマス頃の気温に下がってしまいました。大陸から列島に
向かって吹き出してくる冷気はまるで1月か2月のような筋雲を作っていました。そして今日、11月12日、大陸から
二十数年ぶりという秋の黄砂現象が日本列島全域で観測されました。
異常気象は日本列島だけでなく遠くオーストラリアでもあるいはアメリカでも起きています。東ヨーロッパではかつて
ない大雨によって、ハンガリーやチェコ等に深刻な被害をもたらした。書き上げればきりがないほど頻々として異常
気象が世界各地に起きています。
南太平洋に浮かぶ珊瑚礁の島々は目に見えるほど海面が上昇し、次々に水没を始めています。島を離れる計画
が現実味を帯びてきました。今や世界の気象は安定と異常という大きなうねりを繰り返しながら確実に変化をしてい
ます。全てが炭酸ガスの蓄積による温室効果だとは言い切れませんが、今まで経験したこともないような異常現象の
数々を見ていますと、私達の生活から来た現象であることに間違いないようです。私は以前、このサイトで荒れる時と
穏やかな時との変化が激しくなるのではないかと書きましたが、どうやら確実にそうなりつつあるようです。
ここに一冊の本があります。「人類大破局(ジオカスタトロフィ)」という物騒なタイトルの本です。著者は有名な東海
大学情報技術センター所長の坂田俊文先生です。副タイトルには「早まった人類滅亡のシナリオ」とあります。大破局
(ジオカタストロフィ)とはいったいどのような事なのでしょうか。本の帯付にはこう書かれています。「ここで述べる人類
の滅亡とは地球上から人類という生物が一人もいなくなってしまう物理的な絶滅ではない。社会的、心理的側面も含め
て生存環境が劣悪化し、人間が人間として存在していくことが、もはや不可能になる状況を意味している。もちろん、
現代の文明水準を維持していくことなど到底できない状況である。いうなれば人類社会の崩壊がジオカスタトロフィだ」
犯罪が犯罪でない世界、正義が正義でない世界、まさに暗黒の世界である。」考えてみれば背筋が寒くなるような話
です。現実にこんな時代が来るのだとしたら、いっそ死んだ方がましかも知れません。実に生き地獄のような世界です。
そして、この文の後半に書かれている犯罪が犯罪でない、正義が正義でない世界とは、今、現実に目の前にある
社会ではないでしょうか。犯罪が多発し、人を殺すことなど何の罪の意識もない人達が増えています。家庭内暴力は
日常化しています。アメリカは正義と称して罪もない他国の人を平気で殺しています。チェチェンではロシア軍の執拗
な攻撃で国も国民も疲弊しきっています。そして今、アメリカは更にイラク攻撃まで画策しています。北朝鮮は日本人
を拉致した事を認めながらも、それを強引に政治的な取引に利用しようとしています。国家が個人の人権や命まで
奪うことが正義だと言えるのでしょうか。最早、この世の中に正義は失われてしまったかに見えます。
世界は異常気象に止まらず、人間社会そのものが自然崩壊を始めていると言っても過言ではないようです。そして
この本に書かれているように、その動きは年を追う毎に加速しています。私は子供の頃からおぼろげながら自分の
一生が終わるとき、この世の中の全ても消滅してしまうのではないだろうかと考えていました。もちろん、私一人が
死んだからと言って、この世の中がなくなるはずはないのですが、私個人にとっては世界がなくなることと同じ事です。
しかし、それは別の意味で現実味を帯びてきました。私は今五十八歳ですが、後二十年近く生きるとしますと八十歳
近くになります。どうやら加速度的にすすむジオカスタトロフィは、その頃がピークになりそうです。
どんな出来事が起きるのか分かりませんが、狂気に走った人間達が核戦争を始めるかも知れません。それは乏しい
食料の奪い合いであったり、水資源を巡る争いかも知れません。地球上には抱えきれないほどの人口が満ちあふれ、
その上、異常気象やエイズなど原因の分からない疫病の蔓延と人間社会は抱えきれないほど多くの難問を突きつけ
られる事になります。
ここでもう一冊の本を紹介します。「宇宙のダルマ」という題名の本です。ダライラマ十四世が1988年ロンドンで
チベット財団ロンドン支部の主催のもと、チベット仏教について四日間の講演を行いました。その時の記録をインド
ガンデン寺のゲシェ・トゥプテン・ジンパ師がまとめたものを永沢哲氏が訳されたものです。
ここでこの本の「顕教のおしえの項、六」にある「四方印」という一節について紹介してみます。本に書かれている
文章そのままを引用しておきます。
仏教学派共通の原理である「四方印」の「第一の印」の中に世界を構成している現象はすべて無情であるとあり
ます。この無常とは、世界を構成する現象はすべて一時的なものであるという点で無常なのです。つまり、それらを
存在せしめた条件そのものが、それらの崩壊をも引き起こすということです。他の要因の結果として生まれてくる
物事や出来事は、どんなものであれ、それを崩壊させるための二次的な条件を必要としません。存在した瞬間に、
すでにその崩壊のプロセスは始まっているのです。言いかえると、滅の状態へのメカニズムは、システム自体の
中に組み込まれているのです。それはまるで、物事や出来事が、それ自身を最終的に消滅させる種子を持ち運ん
でいるかのようです。さまざまな原因によって生み出されたものは、すべて他の力に依存している、というのがその
簡単な理由です。その存在は、他の要因に依存して、はじめて生じ得たのです。現象は、ダイナミックかつ瞬間的
なものであるという仏教の見解・・・この見解は、すべては無常であるという理論の結果として生まれるものなのです
が・・・は現代物理学によって示された、ダイナミックで永遠に変化を続ける物質世界についての見方と非常に近い
ものです。
私は上記引用文に書かれている「それらを存在せしめた条件そのものが、それらの崩壊をも引き起こす」という
ところに妙にひっかかるものを感じるのです。永遠に変化し続けるこの宇宙、その宇宙も至る所に全てを飲み込ん
でしまうブラックホールを持っています。それらは宇宙が誕生した時から終焉の為の幕引きに準備されているかの
ように感じられるのです。また、人間社会も同じように人間という生き物を、この世の中に誕生させたときから自らの
手によって終焉の時を迎えるようなプロセスが組み込まれていたのではないか、そんな気がしてならないのです。
最早引き返すことも、前に進むことも出来ないような状況の中に、自らを追い込んでしまっているのではないか、
そんな気がしてなりません。何かが大きく狂ってしまった、そんな気がしてならないのです。しかし、仏教の教えの
中には、そんな人間を救うための智慧が凝縮されているようにも思われます。人類の崩壊(ジオカスタトロフィ)を
救うもの、それは「宇宙のダルマ」という仏教の教えの中にあるような気がしています。もし可能ならば今からでも
遅くはないと思います。今一度、仏教の崇高な教えを噛み締めてみたいものです。
2002年11月30日掲載
紹介文献
人類大破局 東海大学情報技術センター所長 坂田俊文著 徳間書店
宇宙のダルマ ダライ・ラマ十四世著 永沢 哲訳
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