ここに環太平洋の全域を表す地図と、全くおもむきを異にした二冊の本があります。一冊の本は黒川創氏が書かれた
「硫黄島」(いおうじま)という本であり、もう一冊は先にテレビ東京が開局35周年を記念して制作した特集番組を本に
まとめた「海を越えた縄文人」という本です。
開いた地図上には小笠原諸島から、はるか南に「硫黄島」(いおうじま)という小さな島が記されています。黒川氏の
小説の舞台となっている「硫黄島」は、かつて太平洋戦争時代、沖縄と同じように日本の前線基地としてアメリカ軍から
壊滅的な攻撃を受けた島です。戦争終結後は一時期アメリカ軍の基地として接収され、日本に返還されて後は自衛隊と
アメリカ軍の共同使用の軍事拠点となっています。
以前から、この島に住んでいた住民は戦時中、強制移住をさせられ、いまだにふる里の土を踏むことは出来ません。
黒川氏は小説の書き出しの中で、縄文人たちが新天地を求め太平洋に向かって船出する様子を描いています。そして
何日もの長い長い航海の後、やっとの思いで到達した島が、この硫黄島であったと書いています。
テレビ東京は開局記念番組として、南太平洋の島々から縄文土器とそっくりな土器が多数出土したという歴史的
大発見を元にして特別番組を制作しました。番組は5000年ものはるか昔、縄文人達が太平洋の荒波を越えて南太平洋
の島々を目指し、その大航海の後に、これらの島に到達したのではないかという実に壮大な構想で描かれたものです。
取材班は縄文人達が航海したと思われる足跡をたどって南太平洋の島々を巡り、これらの島づたいに南米のチリにまで
取材を敢行し、テレビの特集番組を制作するとともに、番組に収録できなかったところを一冊の本にまとめているのです。
縄文人達がどのコースをたどったかは全く分かりませんが、その一歩を印したと思われる遺跡が、この硫黄島にも残って
いるのです。それらの遺物は巨石を利用した特徴ある構築物や多数の縄文土器です。
黒川氏が自分の小説の中に何故唐突に縄文人達を取り込んだのか私には理解しがたいのですが、それはともかく、
私が読んだ2冊の本が時を同じくして私の手元にあるという不思議さを感じています。その接点となるのが硫黄島です。
興味のある方には是非一読されることをおすすめしたいと思い紹介しました。久々に一気に読んでしまった二冊の本です。
テレビ東京編「海を越えた縄文人」
黒川創著「硫黄島」 朝日新聞社発行
縄文人の足跡
最近、国内でも50万年前の前期旧石器時代の遺跡が発掘されたり、縄文時代の数多くの遺跡が発掘され、私達が学校で
教わった日本史とは全く異なった歴史が明らかになりつつあります。特に縄文文化は弥生時代と比較され、遅れた文化だと
教わって来ましたが、弥生時代とは全くおもむきを異にする素晴らしい文化であることが、次第に明らかになりつつあります。
特に縄文土器は特徴ある縄目模様と非常に芸術性の高い形をしており、縄文人達の豊かな発想と文化性を想像させます。
三内丸山遺跡の発掘から、生活面においても豊かな食物群に支えられ、大きな集落と広い交易範囲を持っていたことが
明らかになりました。彼らは私達が想像する以上に豊でたくましい先進的な民であったのではないでしょうか。
太平洋の地図を広げると小笠原諸島の沖にマリアナ諸島、パラオ諸島、マーシャル諸島と太平洋の島々が点々と連なって
います。そして縄文土器そのものではないかと言われている土器が発見されたバヌアツ共和国に行き着くのです。
そうして、さらに方向を転じてマゼランが通ったと言われているマゼラン航路を逆に進めば、イースター島から南米大陸に
至るのです。壮大な海の歴史ロマンなのです。
縄文時代への思い追記
せっかくの発掘がねつ造であった事が明らかになりました。歴史に夢を抱くものの心を踏みにじるような行為に腹が立ち
ます。それでもなお縄文時代はロマンを感じさせてくれます。これからは真の発見を目指して探索を続けて貰いたいと
願っています。
つい先日、八ヶ岳連峰の麓に広がる尖石縄文遺跡を訪ねて来ました。広大な火山灰土の台地に縄文人達が多数住居を
構え生活をしていた場所です。鹿や猪を追い、豊かな森の食物に支えられ、冬は雪を頂く高い山々を眺めながら生活して
いた縄文人達と同じ場所に立ってみました。このまま彼らの時代にそっと入っていけそうな、そんな感じがして不思議な思い
に囚われました。そして、豊満な体をした縄文のビーナスは、何かを語りかけようとしているようにも見えました。
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