
広島県深安郡神辺町字川北七日市といえば私が子供の頃住んでいたところです。
深安郡も大半の町村が福山市と合併し、神辺だけが残りました。
川北というからには当然川南もあるわけで、高屋川が街の中心を流れておりこの川沿いに発展した宿場町です。
もっとも今は近隣の村と合併しましたので旧神辺町と言った方が正確ですが。
七日市と言うのも旧宿場街の名残でしょうか。三日市もあります。おそらくその昔、七のつく日や三のつく日に
市が出来ていたのだと思われます。
神辺町は古くは備後絣の産地でもあったようで、そのせいか染色や織物といった繊維関係の工場が多かったようです。
私の子供の頃には染めた糸を竿に通して何段にも重ねて干している景色を目にしたり、工場のそばを通ると
織機の音などを良く耳にしました。
私の父も繊維関係の商売をしていました。
高屋川は天井川です。天井川というのは川底が平地より高い川のことを指して言います。
そんなわけで昔は洪水が頻発していたようです。さすがに私の子供の頃には立派な堤防が築かれ、その心配はありませんでしたが
それでも、少しでも長雨が続くと見る見るうちに水かさがまして、堤防を越すのではないかと不安にかられた事も何度かありました。
夏になると川は干上がってしまい、川底にはほとんど水がなくなってしまいます。川の中には井戸が掘ってあり、
ポンプで水を汲み上げて田圃の水を供給していました。そんな作業が昼夜を問わず行われ夏の風物詩ともなっていました。
川の表面は干上がっていても、川の底には汲めども尽きぬほどの豊かな水が流れていたのだと思います。
神辺の上水は今でも川の畔に掘った井戸から水を汲み上げて使っているのではないでしょうか。
そして、神辺は豊かな穀倉地帯でした。備後平野といい、古く奈良時代には国の穀物倉庫もあったくらいですから
豊かな土地だったのだと思います。子供の頃は高屋川の堤防に立つと見渡す限りの田圃が広がっていました。
そんな水と豊かなお米に恵まれた神辺には造り酒屋さんも多かったようです。
実はここまで書き進んできたのは、幼なじみから、この酒造りの記事が寄せられたので酒造り特集を組もうと思ったからです。
私の住んでいた七日市にも二軒の造り酒屋がありました。一軒は「八仙」、もう一軒は「天宝一」です。八仙は造り酒屋をやめてしまいました。
「天宝一」は今も作り続けています。
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井原線が開通しにわかに神辺を訪れる人が増えたと聞きます。そんな観光客が「天宝一」の酒をみやげに買って
帰るんだという事を幼なじみが教えてくれました。
幼なじみは、本家がその造り酒屋「天宝一」なのです。彼女自身酒蔵の中で大きくなりました。
私も何度か酒蔵の中に入った記憶があります。その彼女から酒造りの全工程を書いてきましたので以下に紹介します。
以下彼女の電子メールから複写編集したものです。
先日、神辺へ行きました。井原線のことで、神辺の町を、そぞろ歩きする人が増えたとか。天宝一も、(未来世紀2001)という名前のお酒がよく売れるそうです。720mlで1100円、と手ごろな値段と軽いのでいいのでしょう。
もちろん1.8lもあります。世紀末1999という名前のお酒もあります。
酒作りの工程のプリントもあります。1度では長いのですこしずつ情報をお届します。
酒作りの工程
精米
日本酒の米は短粒米のうるち米を用いる。酒米は米粒が大きく、心白と呼ぶ内部の白い部分が大きいものが良いとされる。
特に吟醸酒など高級酒では、酒造好適米とよばれる特別な品種が用いられる。酒造好適米としては山田錦や
五百万石、美山錦などが有名である。
米は外延部に近いほどたんぱく質や脂肪が多く含まれ、これが酒の味を損ねる。そのため精米率は80%から70%、
吟醸酒では60%から最高35%まで精米される。60%精米とは米の全量のうち、60%を削り、残りの40%を使うということである。
削れば削るほど良い酒が出来るが、それだけ原料費が高くつくことになる。食用の米の精米歩合はせいぜい90%である。
洗米
精米した米はさらに表面に付着した糖を除去するため、洗米する。洗米後の米は適切な浸漬(水に浸ける)を行う。
洗米の段階でも米は水を吸うが、浸漬具合によって蒸米の仕上がりが微妙に異なるため、吟醸酒ともなると
秒単位でとう氏が合図して水から引きあげる。
米
日本酒の米は蒸して用いる。飯米のように炊くと粘性が出すぎて麹を植えつけるのに適さない。
蒸米に用いる装置はコシキといい、セイロを大型化したようなもので、中央に穴がある。これを水をはった釜の上に置き、
沸騰させて蒸気を噴出させて、洗米した米をのせて蒸してゆく。蒸し上がった米を釜屋が潰して餅状にして
とう氏に渡し、蒸し具合を見る。(ひねり餅)と呼ぶ。
麹
麹作りを行う部屋を麹室と言い、麹の育成に適するよう、冬期でも室温が27度程度に保たれる。
麹用の米は蒸したあとに放熱して冷まし、種麹(通称もやしと呼ばれる)粉末の胞子を蒸米に振り掛けて混ぜあわせる。
混ぜた後、麹蓋という薄い箱に入れて積み重ねて温度を管理する。およそ48時間で米麹が完成するが、
それまでの間、蒸し米に適当に麹菌が食い込む(これを破精込(ハゼコ)みという)ように、温度や湿度を管理して
やらなければならない。重ねた麹蓋の順番を変えたり(積み換え)、麹蓋の中の蒸米を混ぜたり(切返し)する。
ひねり餅は、子供のころ、蔵のくぎにひっかけてくれていました。それを、食べるのが楽しみでした。
普通のおもちと違って、なんともいえないおいしさでした。
母(モト)
出来あがった米麹に蒸米と水を混ぜて酒母を作る。酒母は文字どおり酒の母となるもので、酵母の培養源である。
かっては蔵ごとの住み着きの酵母を自然に発酵させたが、明治以降、酵母や麹の役割が解明されるに従って、
醸造研究所が分離・培養し、醸造協会から提供される酵母(協会酵母)を1度に投入して作る速醸モトが
行われるようになった。高温糖化など、さまざまな技術が案出されて、1週間から10日前後で酒母を完成することが
出来るようになった。今日ではほとんどの酒母は速醸モトで作られる。
生モト
住み着きの酵母によって発酵させたモトを生モトと呼ぶ。生モトではまず半切りと呼ぶ小さな浅い桶に蒸米と
麹と水を入れて櫂ですり潰したり、攪拌する。初期の段階は低温で行い雑菌を殺して酒母を守る乳酸を増殖させる。
これを大桶に合せて温度を下げながら酒母を増殖していく。モトの完成まで1ヶ月前後かかる。
半切りによる攪拌を山卸しといい、大変な労力を必要とするため、明治に入って山卸を廃した生モト作りが行われるようになった。
これを山廃モトと呼び、山卸を行う生モトとともに生モト系と呼ぶ。
仕込み
仕込みは、出来あがった酒母に対してさらに米麹と蒸米と水を加えて発酵させる工程である。
日本酒では、麹による澱粉の糖化と酵母による糖の醗酵が同時に行われ、並行複醗酵方式と呼ばれる。
日本酒は、初添え(添え仕込み)、中添え(仲仕込)留添え(留仕込み)の3回に分けて仕込む三段仕込み(三段掛け)で行われる。
初添えを1とすると、中添えは倍の2、留添えでさらに倍の4と、倍で増やしていく。1日目に初添え、2日目を踊りと称して仕込みを休み、
3日目に仲添え、4日目に留添えを行う。仕込みの段階の液体をモロミといい、醗酵が進むと糖分がアルコ−ルと
炭酸ガスに分解され、泡が発生する。醗酵の進み具合によって泡の状態が変わり、泡の状態と香り、味などによって
醗酵の進み具合を判断して、搾る時期を決定する。留添え後、およそ2週間程度で出来あがる。
圧搾〜滓引き
留仕込みが終わり、適当な醗酵が進んだところでモロミを搾る。残った固形分は粕となる。
モロミの圧搾には古くフネと呼ばれる圧搾機が用いられた。フネは硬い木材で出来た箱状の装置で、
形が平底の船に似ていることからこう呼ばれる。モロミを酒袋に入れてこの中に並べ、蓋をして上から圧力をかけると
液体分が絞り出され、フネの下部に開けた口から原酒として迸る。これを静置して細かな固形分を沈殿させ、
濾過することによって澄んだ液体となる。
火入れ
濾過した段階の酒にはまだ酵母が生きており、また雑菌の混入の可能性があるため、火入れという滅菌作業を行う。
火入れは60度のおき湯を溜めたタンクの中に蛇管と呼ぶ長い管を通し、管の中に酒を通すことで行う。
熟成
火入れを終えた酒は貯蔵タンクに貯蔵され、秋口まで熟成させる。
調合
搾った直後の原酒はアルコ−ル分が20度近くになっており、これを適当な度数まで割り水して調合し、瓶詰めして製品となる。
これでお酒が出来ました。専門用語が多く、辞書の世話になったこともしばしば。これで(酒作りの工程)を終わります。
恭子
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神辺町の情報は非常に少ない。しかも地方自治体によっては町をあげてのインターネット網の整備等に取り組んで
いるというのに神辺町は町のWEBサイト(ホームページ)すら持っていない。遅れているとしかいいようがない。
瀬戸内東部地域 神辺 地域情報の1ページに神辺のプロフィールがでています。
神辺商工会青年部 神辺情報の他、創作童話など楽しいサイトです。
ひろしまWEB事務局 神辺町関係のリンク集です。数は少ないです。
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多くの人が苦しみ亡くなっていった時代もあった。先人達のたゆまざる努力がついに根絶をさせるという
快挙を成し遂げた。
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