
ここに四万十川がたりという一冊の本があります。
四万十川のほとりで生まれ育った野村春松さんが四万十川についての思い出を語ったものです。
野村さんは四万十川の思い出を語ると共に、今の時代についても野村さんなりの考え方や感じたことを率直に語っています。
自然と共にあることの大切さ、自然と共にあることの幸せ、今の世に生きる私たちが失ってしまったものの大きさと
大切さ等、実に考えさせられることの多い本です。
何千年もの昔、縄文人達は自然の中で自然を壊すことなく自然と共に生きてきました。
その生き方はつい百年前頃まで、絶えることなく親から子へ子から孫へと受け継がれてきた生き方です。
当たり前のことですが、人間も自然の中の一部分として生きてきた時代のことです。
今発掘しても縄文時代のものはほとんど残っていません。残っているものと言えば、ほとんどが石器とか土器
とかといったものだけです。人間の骨さえその存在を失っています。
全ては土に帰り、新たなる生命を生み出しているのです。自然のあるべき姿は、これが本当の姿なのです。
永久に消えることのないプラスチックや化学薬品、放射性の諸元素等、今の世界中には、もともと自然界に
存在しなかったようなもの、再び自然には戻れないようなものが満ちあふれています。
こうした物質は確実に私たちの住む環境を破壊し、私たち自身をむしばんでいます。
いわば自然が私たちに下した天罰だと言えます。自らばらまいたもので自らを苦しめているのです。
四万十川は日本でも数少ない清流の一つだと言われています。その清流も野村さんに言わせるとずいぶん
変化してきたそうです。
そういえば玉島の上成に住んでいるNさんは子供の頃、今はどぶ川と化している家の横を流れる川で茶碗を洗い、
風呂水等生活用水として使っていたと言います。
そんなきれいな川をつい最近まで日本中どこででも見ることが出来たのです。
自然を取り戻すことは容易な事ではありませんが、その気にさえなれば不可能な事ではないのです。
今までやってきたことの反対の事をすれば良いのですから。もうこれ以上、地下資源を堀り続けない事です。
地下資源は私たちの生活を大変豊かにしてくれましたが、パンドラの箱のようなもので、いったん開けてしまうと
収拾のつかないものです。
大量の石炭や石油はおびただしい炭酸ガスを排出し様々な化学物質を作り出してきました。
これらの物質は太陽が作り出した過去の遺産ですが、自然の循環と言うことを考えれば余分な物なのです。
すでに、地球上はこれらの物質があふれ出して飽和状態になっています。もうこれ以上増やすことは出来ません。
これからは縄文時代のように身の回りのもの全ては自然に帰るものではなければならないと思います。
サイクルの中で循環するもの、完結型の社会が望まれるのです。私達が豊かさを求めれば求めるほど、
また失うものも大きいのです。
山と渓谷社刊 「四万十川がたり」 語り: 野村春松
聞き書き:蟹江節子
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