声掛け運動

先日、仏教講座に参加していた時の出来事です。講座の前半が終わり、休憩時間の事です。飲料の自動販売機の前での
出来事でした。3歳か4歳くらいの男の子が若いお母さんに飲み物が欲しいからお金をくれといってだだをこねていました。
お母さんは困り果て何やかやと言って子供をなだめていました。しかし、男の子は容易にあきらめようとはしませんでした。
私は背中を向けて親子のやりとりを聞いていました。そこへ同じ講座に参加している老婦人が来られました。諦めきれずに
だだをこねている男の子に優しく声をかけ、「お母さんが困っているよ、我慢しなさい」と言うような言葉を男の子にかけて
おられました。もちろん、そんな事くらいであきらめるような事はありませんでしたが、若いお母さんの顔には明るさが戻り
ました。「ほらほら、おばちゃんもそういってるでしょう」と言うような言葉を子供にかけていたように思います。困り果てていた
お母さんにもゆとりを持って子供に声を掛けることが出来るようになったのです。
昔は、こんな場面とか腹を立てたお母さんが激しく子供を叱っているような場合、両方の間に入ってなだめてくれたり、叱ら
れている子供のかたを持ってくれるような人が少なくありませんでした。お節介と言われようとなんと言われようと、どんどん
入っていって、仲介役に徹するようなおばさんが、たくさん居たように思います。
この度は久々に、そんなおばさんの姿を見たような気がしたのです。最近は車中で走り回る子供や、靴を履いたまま座席で
窓の方を向く子を注意したりすると、開き直るお母さんや、お節介は焼くなとばかり睨みつけるような若いお母さんも少なく
ないので、ついつい遠慮がちになってしまいます。
しかし、お節介と言われようとも、こんな人が居なければ世の中はうまくいかないのではないでしょうか。むしろ、こんな人が
少なくなったり、居なくなったからこそ、幼児虐待やノイローゼで自殺を図るようなお母さんが少なくないのだと思います。
お節介賛成、大いにお節介を焼いて、世の中の潤滑油になって貰いたいと思うのです。「街は学校」というコマーシャルが
ありますが、おじさんもおばさんも、子供達や若いお父さんお母さん達に、遠慮せずにむしろ積極的に声を掛けていこうでは
ありませんか。
2002年7月11日掲載
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