教育のあり方を考える
教育改革について
小学生の学力低下が心配されています。それは、いま現場で教鞭を執っておられる先生方が真剣に心配
されています。近年、小学校は急速に改革が進みました。学校週五日制になり、ゆとり教育が取り入れられ
ました。社会と理科が一緒になりました。算数では長く3.14で教えられてきた円周率が3に省略されてしまい
ました。激変とも言えるような変革は何の目的で行われているのでしょうか。
かつては欧米各国でも学力低下が問題になりました。個人や個性を重視した教育を行ってきたからです。
その結果、子供達の学力は大きく立ちおくれてしまいました。危機感を抱いたこれらの国々では、それまでの
教育方針の方向転換を行い、日本をモデルした教育改革を行ってきました。
その結果、手元にある資料ではイタリアをトップにオーストラリア、アメリカ、フランス、ドイツと並ぶようになり
ました。日本は6番目、韓国は7番目となっています。このままにしておいて良いのでしょうか。
小学校の学力低下は大学にまで及んでいると聞いています。先日も岡山大学の教授が、近頃の大学生は
方程式も満足に解けないのだと嘆いておられました。理系の学生のことです。日本語を知らない大学生が増え
ていると言う話は以前からよく聞いていますが、理系の大学生が、方程式が解けないとは信じられないような
話です。
日本は資源の少ない国です。従って、多くの資源を輸入し色んな商品に加工し、諸外国に輸出して国の経済
を支えてきました。他国に負けないような商品を開発し加工するには技術力が必要です。技術力を支えるのは
教育です。その教育レベルが低下したとあっては由々しき一大事です。
小学校での学力低下を懸念した親達の中には、文部科学省に働きかける事をやめ私立の有名校や学習塾
に通わせています。そのような事が出来る家庭や地域はそれでも良いかも知れません。しかし、多くの子供達
は、そのような環境にはありません。別の教育施設を選択しようとしても対象がなく、お金もありません。これは
差別という他はありません。恵まれたものは、優秀な学校に行き良い教育を受け良いところに就職する。その
結果、恵まれない者との格差はますます広がっていくのではないでしょうか。選ばれたものと虐げられたものとの
格差は拡大するばかりです。いまこそ、学校教育のあり方を根底から問い直す必要があるのではないかと思って
います。
保育園と幼稚園の一元化管理
小学校に上がる前、多くの子供達は保育園か幼稚園に通っています。保育園は厚生労働省の管轄、幼稚園
は文部科学省の管轄になっています。同じ子供なのに何故、所管するお役所が異なるのでしょうか。
保育園は働く親達のために乳幼児の段階から預かっています。一方、幼稚園は学齢期前のほんの一、二年
を預かっているだけです。幼稚園の目的は集団生活や生活習慣を身に付けさせるためです。
保育園では、幼稚園とほとんど同じような事を乳幼児の段階から行っています。それなのに分けて預かる必要
があるのでしょうか。聞けば保育園も幼稚園も、それぞれに多くの問題を抱えているようですが、対処の方法は
大きく異なっていると聞いています。乳児期から幼児期にかけては、人間形成にとって大変、大切な時期だと
言われています。
もちろん、家庭教育がもっとも大切なのは言うまでもありません。しかし、一日の大半を過ごす保育園での集団
生活もまた大切です。そこでの教育を厚生労働省の管理に任せておいて良いのでしょうか。小中高と一貫教育
と言うのであれば、もっとも大切な乳幼児期の教育も、この中に入れるべきではないでしょうか。
何か制度管理ばかりに走り、真の子供サイドに視点を置いた教育には見えないのです。私には学校改革の前
に、柔軟性に欠ける文部科学省自体の改革が必要なのではないかと思っています。
唱歌と童謡
音楽の教科書から唱歌消えていると聞いています。何故消えているのでしょうか。唱歌を歌い習ってきた世代
としては実に寂しい事です。もちろん、今、取り入れられている歌の中にも良いものはたくさんあります。若い世代
のリズム感が良くなった背景に、これらの歌があることも否定は出来ません。
しかし、唱歌や童謡の中にも優れたものはたくさんあります。春には春らしい歌があり、夏には夏らしい歌が
たくさんあります。これらは、メロディを聞いただけで、その情景が浮かんできます。それだけ優れた歌だと言える
のではないでしょうか。
余談になりますが、日本の歌の多くは叙情歌だと言われています。確かに欧米の歌のように歌詞の中に深い
意味はありません。しかし、歌詞とメロディが一体となったとき、不思議に目の前にその情景が浮かんでくるの
です。欧米の歌の歌詞は、自分の思いや他の人に対しての呼びかけなどがメロディに載せて歌われています。
それは、吟遊詩人がメロディに載せて人々に語りかけたメッセージソングのように思えます。どうも日本の歌とは
根底から異なるようです。その事を音楽家の三枝成章さんが上手に表現されていました。
日本の歌は欧米やその他の国のものとは、どこか異なる特有のものであるような気がします。特に、演歌
という文化は独創的なものではないでしょうか。しかし、そうではあっても中国や韓国では受け入れられてい
ます。と言うことは、日本人の叙情性は他の国の人でも理解が出来るという事ではないでしょうか。
唱歌と演歌を同じテーブルで論ずることは出来ませんが、日本の文化という点では同じだと思うのです。秋に
なればモミジの歌、冬になれば「ゆきやこんこん・・・」それぞれに、情景が目の前に浮かぶような歌ばかりです。
私達は、この優れた唱歌や童謡の数々を大切に歌い継いでいきたいものです。
唱歌の中には旧仮名遣いや口語体の難しく理解しがたい言葉もたくさん出てきます。それは、小学校で唱歌
を教わってきた私達にも共通の問題でした。しかし、理解できないままに歌ってきても、なお、心に浮かんでくる
情景は、作曲家や作詞家が見たり感じたものと同じなのです。その情景や、その思いが彷彿としてわき起こって
くるのは何故なのでしょうか。
滝廉太郎作曲、土井晩翠作詞の「荒城の月」等は優れて叙情性の高い歌です。しかし、その歌の中に私達の
祖先から連綿として受け継がれてきた長い歴史と文化が歌われています。だからこそ、私達に今もなお、歌い
継がれているのだと思うのです。
2004年3月8日掲載
教育問題追記
先に小学生の学力低下の問題について書きました。ところが今年度の教科書から再見直しが行われ
3年前に「ゆとり教育」という事で削られた部分が、かなり見直されたと言われています。学力低下を懸念
した親達から、ブーイングがあったからのようです。今更なにが見直しかという批判もあるようですが
ともあれ一段落と言ったところでしょうか。
そもそも中央にいて現場の経験がないお役人さん達に制度改革など任せていて良いのでしょうか。教育は
国家百年の計と言われるくらい大切なものです。もし、広く意見を聞いていると言うのであれば、自分達に
都合の良い意見しか聞いていないとしか思えません。多くの良識ある人達は、一方的なゆとり教育などには、
初めから疑問を抱いていたのです。「ごま」をする事しか能のない者の意見に耳を傾けるようになってしまった
のでは裸の王様と同じです。
2004年4月10日追記
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