
先日の新聞に、岡山県知事の再立候補の決意表明がなされたという記事が載っていた。
その記事の下に各党のコメントが書かれていた。大方の党は知事の4年間を評価していたが、日本共産党だけは
他の党と全く異なった意見で際だっていた。
かねてより、この党の考え方には、他の考えを絶対に入れないようなところがあって、そのために他党からも政治に
関係のない人からも、多くの反感をかっているのではないだろうか。
歴史ある公党としては、あまりにも偏狭で自党に固執し過ぎていると思われる。
将来を目指す公党であれば、評価すべきところは評価しないと、結局お山の大将のみたいなもので、独りよがりに
なってしまう。とても大人の党とは思えないようなところがある。
こんな偏狭な政党が政権を握った時には、ファッショになるのではないかという懸念さえ抱いてしまう。
党の幹部達は何とかして政権に食い込みたいという執念にも似た強い意欲を持っているように見える。
かつて日本共産党と言えば時の体制側の巧みな宣伝もあって、あからさまな弾圧を受け、その上党内でも激しい
粛正なども行われたと聞いている。それだけに今でも日本共産党と聞くと一般の受けは決して良くない。
政党が広く国民の支持を得るためには様々な条件があると思うが、何よりも明るさがある事と、開かれた党で
なければならないと思う。不思議でならないのは党内から政党としてのあり方に何ら疑問なり、批判めいたものが
出てこない。政党であれば色んな考え方のものが集まっているのであるから、当然色んな党内論議が合っても良いはずだ。
それにも関わらず、党内のことが、ほとんど一般の国民には伝わってこない。生身の人間の集まりとはとても
思えないのである。不思議を通り越して不気味ですらある。日本共産党を見ていると、血の通った人間らしい
党としてのイメージが感じられないのは、私の偏見であろうか。
他から金を貰わずに党を自立したものとして維持運営していくからには、強固な団結力とそれを維持していくための
綱領が必要な事は言うまでもない。その点に於いては献金のみを当てにしているような政党とは異なり立派だと思う。
しかし、国民は党の中までみて良い悪いを判断しているわけではないから、どんな党であろうとさして変わらない。
それよりは、この党が何を考え自分たちのために何をしてくれようとしているのかと言うことを、他党と比較しながら
総合的に考えて判断をしている。そんな国民に自党の考え方だけを押しつけても受け入れられるはずがない。
もっと評価すべきところは評価し、その上で自分たちの考えていることや、自分たちと共に行動できるような体制を
作り出していかない限り、永久に国民にも他党からも受け入れられることはないだろう。
今、日本共産党に必要なことは、もっと先進的で明るい開かれた政党に成長することではないだろうか。
2000年4月25日掲載
先日の新聞には日本共産党が規約を見直し、結果、「社会主義革命」や「階級闘争」と言う言葉がなくなったと報じ
られていました。将来は党の政治路線を定めた綱領の見直しも視野に入れていると書き添えられていました。
長く路線を同じくしながらも、激しく対立してきた日本社会党が総評の解体と共に姿を消し、社民党になりました。
階級党としては、久しく社会党の陰に隠れていた共産党でしたが、社会党の消滅と共に全面に躍り出た感がありました。
そんなわけで、一時は党勢の拡大にもつながりましたが、先の衆議院選挙では他党からの誹謗中傷もあって、
完全な敗北に終わってしまいました。共産党の幹部はこぞって誹謗中傷が原因で敗北したのだと言っていましたが、
本当にそうだったのでしょうか。一時の党勢拡大は社会党がなくなり、持って行き場のない不満が共産党への
一票につながっていたと言っても過言ではないと思います。決して共産党を良しとしたのではなく、自分たちの考えを
代弁してくれるものがいなかったからであって、共産党に一票を投じることにためらいを感じた人も少なくないはずです。
それは何に原因があるのでしょうか。恐らくは古めかしい前時代的な党の姿が今の時代に合わないからだろうと
思われます。その意味合いにおいて、今回の規約見直しは遅きに失した感は免れません。民主党が今ひとつ党と
してひ弱く感じられる現代、社民党や共産党にも頑張って欲しいと思うのが国民の気持ちです。
今後、広く開かれた前衛党として、また、国民の声を代弁できる党としての脱皮と飛躍を見守っていきたいと思います。
2000年9月23日追記
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