日光写真からデジカメ写真

写生画から写真へ
小学生の頃は写生が好きで、学校の代表として町内や郡内の写生大会などに良く参加していた。表彰状も何度か貰った
こともある。しかし、中学、高校へと進むにつれて次第に縁遠い存在となってしまった。特に工業高校は専門学校なので
普通課科目に属するような授業は極端に少なく、申し訳程度に英語や国語などの時間があるだけだった。小学校から
続けていれば、あるいはわずかな才能でも伸びていたのかも知れない。しかし、とうとう今日に至るまでそのチャンスは
巡って来なかった。社会人になってからも何度か油彩や水彩の道具を買っては見たものの長続きはせず今日に至って
いる。公民館が主催する絵画教室にも通っては見たが、気持ちばかりが先に立ち筆が進まない。そんな訳で今では才能が
なかったのだとあきらめている。
針穴写真機の不思議
そんな私でも手軽に絵心を満たしてくれるのが写真である。子供の頃から写真には絵画と同じような興味を持っていた。
と言うよりは、むしろその方への興味が勝っていたのかも知れない。事のきっかけは針穴写真機だった。写真機とはいっても
段ボール紙を箱にして映像が映る部分にパラフィン紙を貼っただけのものだった。小さな針穴を通して逆さまに写る景色は
感動ものであった。その後、箱の中に墨を塗ったり、パラフィン紙を磨りガラスに変えたりして色んな工夫をして楽しんだ。
小さな箱の中には、まるで精密な仕掛けでもあるような、ある種神秘的な思いを抱いていた。
日光写真から玩具の写真機
私の写真に関する興味は日光写真に始まっている。日光写真は感光紙とフィルムのネガに相当するものがセットになって
小さな箱に入って売られていた。感光紙を下にしてネガを上にのせ日光に当て、しばらくするとネガの絵がそのまま感光紙に
焼き付いている。実にたわいのないものであったが、写真を我がものにしたような気持ちになり、しばらくは夢中になって
いた。しかし、所詮おもちゃはおもちゃであった。本物の写真には比べるべくもなかった。
そんな写真への尽きぬ思いの中で出会ったのが小さなカメラであった。とてもカメラと呼べるようなものではなかったが、
大人のカメラでさえ高値の花であった時代の事である。小さなレンズが付き、フィルムが入り写真が写せるとなるとこれは
これで立派なカメラである。どんな経路で買ったのか、いくらぐらいしたのかその辺の記憶は定かではない。しかし、何度か
写真を写し、現像に長谷川写真館(親友のお父さんが経営していた)に持っていった事がある。出来上がったものは白黒の
随分とぼやけたものであったが、かろうじて写した相手が誰であるかという事ぐらいは判別できた。
そのカメラがその後どうなったのかこれもまた記憶に残っていない。そんなおもちゃのカメラに入るフィルムがあった事すら
今にして思えば不思議な事である。
一眼レフカメラとの出会い
こうして本格的な写真機は、いや、カメラは社会人になって買った一眼レフである。それまではファインダーを通して対象物
を見るカメラが普通であったが、一眼レフはレンズを通して直接被写体を見ることが出来るという当時としては画期的なもの
であった。こうして私のカメラ遍歴は始まるのである。その後、家内のお父さんが使っていたニコンの一眼レフも譲り受けて
使ってきた。一眼レフのオートフォーカスが売り出されれば、それにもすぐに飛びついた。しかし、カメラの機能が充実すれば
するほど重くなり、旅行の時などとても不便に感じ、結局ワイド機能付きのバカチョンカメラに落ち着いてしまった。このカメラ
で幾枚もの写真を撮りアルバムを飾っている。
絵心で写真を写す
経験で感じているのはカメラの性能よりは写す対象物をどう取り込むかと言うことが写真の出来の善し悪しを決めてしまう。
いわゆる絵を描くときの構図を考えるのと同じ事だと思っている。旅行などの限られた時間の中ではカメラを向ける対象物は
瞬時に選び構図を決めてしまわなければならない。瞬間が勝負だと言っても過言ではない。従って、無意識のうちに対象と
なる景色や被写体をどうカメラに入れたら良いかを考えている。みんなと旅行する際にも記念となる景色や建物をどうみんな
の背景に取り込むか、そんな事ばかり考えて歩いている。
そしてデジタルカメラへ
針穴写真機や日光写真から始まった私のカメラ遍歴はとうとうデジタルカメラまでたどり着いてしまった。いま二台目の
デジカメを使いこなそうと一生懸命になっている。しかし、いかにカメラが進歩しようとも要は被写体をどうカメラに取り込む
かと言うことである。その絵心は私の原点である幼少時代にさかのぼる。あの写生大会で、どの場所にしようかとさんざん
迷ったあげく最後まで満足のいかなった焦燥の日々を思い出す。構図と絵と色とそれらの奥は深い。
決して展覧会などに出そうとは思わないけれど、私の写真遍歴は生涯私を美しいものへと駆り立てているように思えて
ならない。
2002年2月17日掲載
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