農家の思い

先日も畑を耕しながら、こんな事を考えていました。これから始まるジャガイモの植え付けの準備でした。それまで
三筋しか畝を作っていませんでした。これでは20個ぐらいしか植えることが出来ません。そこでもう一筋増やすことに
しました。まだ耕していない日当たりの悪い場所を耕して少し短い一畝を作りました。
昔の人は「耕して天に至ると」言いました。私達の祖先は一握りの米でも麦でも粟や稗でも良いから、たくさん作り
たいと考え田や畑を少しずつ増やしてきました。その結果が「耕して天に至る」ような棚田になったのです。
今でも山間部に行けば、たくさんの棚田が残っています。かつて「裸の島」という新藤兼人監督の映画がありました。
戦後間もない頃、水やりさえも、ままならない瀬戸内海の島の段々畑を守りながら生きている貧しい農家の姿を映画化
したものでした。このようにして私達の祖父や祖母の時代までは、わずかでも収穫を増やそうとして、それこそ汗水
垂らして努力してきたのです。
今でも中国の雲南省には、こんな生活をしている人達がいます。季節になると田を耕し、水を引き田植えをします。
少しでも収穫を増やすため良い種があれば種を求め、わずかでも土地を広くしようと荒れ地を耕して田を作っています。
高いところから眺めれば山の斜面一面が棚田なのです。明日は田植えという前の日には親戚一同が集まります。
そして総出で田植えをするのです。
その眺めは私達が子供の頃とまったく同じです。残念ながら私の家は農家ではありませんでしたが、近所の多くは
農家でした。その季節になれば、どこを見ても同じような農作業の景色でした。その頃、田植えや稲刈りといった
農繁期には学校を休んでいたくらいでした。それくらい農業は大切なものだったのです。
中国の雲南省は一説によりますと日本人のルーツだとも言われています。そう聞いても不思議ではないくらい
彼らの姿形や習慣は私達日本人に似たところがあります。同じ農耕民族だから似たところがあっても不思議では
ないのですが、漢民族と言われる中国人や朝鮮系の人達よりもはるかに日本人に良く似ています。
さて、その日本は山間部を中心とする農村で高齢化が進んでいます。農家の跡継ぎは不便な生活を嫌って都会に
出ています。高齢化と過疎化、その中で棚田の荒廃が進んでいます。祖先が食うために営々として作ってきた田や
畑が急速な勢いで荒廃しているのです。最早、取り返しの出来ない事態になっていると言っても過言ではないと思い
ます。
一坪耕せば一坪余分な収穫が得られる。そんな思いで祖先達は田や畑を増やしてきたのではないでしょうか。
そんな遠い先人達に思いを馳せながら、私も一坪余分に耕す生活を今も続けています。
2003年3月24日掲載
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