仏教の散歩道(仏教講座)−昔話、童話、物語から仏教を味わう

でした。今回の講座は「昔話、童話、物語から仏教を味わう」というものでした。先生ご自身が童話作家になり
たかったと話されていましたように、民話や昔話の蔵書をたくさん紹介して貰いました。そんな中から幾つかの
民話や昔話、童話を引用しての講座でした。たくさんの資料でしたから限られた時間の中で、全てを消化する
ことは出来なかったようです。また、私自身、何かと所用が多く、全講座には出席出来ませんでした。
今回は出席できた講座から私が感じたことを少しだけ紹介してみます。ご存じのように、昔話には人生の教訓
のようなものが必ず語られています。きちんとした人生を送るには、こうしなければならないと言う教えがあります。
私達は、そんな話を寝物語として、おじいさんやおばあさんから聞きながら大きくなってきました。そんな教えの
一つ一つが、その後の人生で、大きな自分自身の教訓となってきたことは、私達の世代なら大なり小なり感じて
いることです。
子供達は大変お話好きです。同じ童話であっても繰り返し聞きたがります。本さえ与えておけばそれで良いとは
言えないようです。何よりも大人達が読んで聞かせてやることが、大変大切な事のようです。だからこそ、子供は
「読んで、読んで」と親にせがんでくるのです。けっして親に甘えているだけではないようです。読んでやっていても、
じっとしていない事や、すぐに飽きてしまうような事があっても読んでやる努力が大切な事のようです。
花咲じいさんの話は私達の世代にとって、もっともポピュラーな話です。良いおじさんと欲ばりなおじいさんの話
です。途中の話は省略しますが、良いおじいさんが、ポチに「ここ掘れワンワン」と教えられ、教えられた所を掘って
みると、大判小判がざくざく出てきました。その話を聞いた欲ばりじいさんは、無理矢理ポチを鳴かせて掘った
ところからは、ガラクタばかりが出てきたというお話です。良いおじいさんと、欲ばりなおじいさんという単純な比較
の中に、分を過ぎた欲張りの戒めが語られています。欲張りは良くないと言う、単純な教えを繰り返し繰り返し
聞いてきた私達は、いつも心の片隅に分を過ぎた贅沢や欲張りは、いけないことなのだと思っています。それが
限りない欲望に歯止めをかけているようにも思えるのです。
私達は子供達にお話を通じて語りかけなければならない義務があるようです。それが、社会的にどれほどの
効果があるかは分かりませんが、私達が育ってきた世代のことを振り返ってみれば、何かがあるような気がして
います。「むかし、むかし、あるところに・・・・・」おじいさんの大きなあぐらの中で、幼い子供の心にお話は子守歌
のように伝わっていくのではないでしょうか。
2003年8月17日掲載
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