らしく育てる

男の子は男の子らしく、女の子は女の子らしく等と書き始めると、何かしら男女差別のように捉えられ勝ちです。
しかし、本当に男女差別に繋がる事でしょうか。戦後、男女同権という思想の延長線上で、男女の性差別を無視
したような教育がなされてきました。
私の子供達が小学生や中学生だった頃、女の子が男の子に対して相手の姓を呼び捨てにしているのを聞いて
奇異に感じていました。小学校では言葉使いの指導をしていなかったのでしょうか。恐らく今も同じではないでしょうか。
私達が子供の頃、女生徒に対しては何々さん、女生徒から男子生徒に対しては何々君と呼んでいて、決して呼び
捨てにはしませんでした。呼び捨てにしてしまうと後に続く言葉もぞんざいになってしまいます。おおよそ女の子らしく
ない言葉になってしまいます。それが、その地方の古くからの習慣や方言ならいざ知らず、標準語が日常語として
用いられるようになってからは、本当にそれで良いのだろうかと首を傾げてしまいます。身は体を表すと言います。
ぞんざいな言葉の使い方は、心の中も女の子らしくないものにしてしまいます。
一部の女の子かも知れませんが、何日もお風呂に入らない子がいるそうです。たまに家に帰ってもただ寝るだけ
だそうです。部屋の中は荒れ放題です。自堕落な生活は心の中を腐らせてしまいます。今は大抵の家で子供達に
個室を与えています。個室は家族から隔離された部屋です。親も足を踏み込むことはめったにありません。そんな
生活が当たり前になっています。確かに自主性を重んじるとか、個人を大切にするという意味合いにおいては必要
な事かも知れません。しかし、無関心でいて良いのでしょうか。自主性を重んじることと無関心は異なるはずです。
子供達の生活指導は、やはりきちんとすべきではないでしょうか。いったん自堕落な生活が身に付くと、心の中まで
自堕落になってしまいます。
私は子供達が成長するまで煙たがられても何度も繰り返し注意をしていました。また、私は私自身の親がきれい
好きでしたから、それを見て大きくなりました。子供は親の背を見て大きくなると言います。従って、親の生活態度も
子供に対する大切な教育の糧となります。
叱れば子供がいやがるからと言って放任している親がいます。親は子供に好かれる必要はないのです。どんなに
好かれようとしても、ある時期が来れば子は親の元を離れていきます。それが親への反発となって態度に出てくる
のです。自分自身の過去を振り返って見れば思い当たることです。
我が家でも、息子が高校時代タバコを吸っているのを知っていました。何度も厳しく叱りました。結局、何度叱って
もやめませんでした。それでも叱っておいて良かったと思っています。親が毅然たる態度を見せておくことが必要だと
思うからです。子育てや躾は親が子を厳しく叱ることから始まります。それは、虐待とは異なります。子供を叱るとき、
表向きは感情的であっても心の奥は冷静でなければなりません。子育てで子供に対する迎合は禁物だと思って
います。
先日、男子高校生が学生帽をかぶっていました。近頃ではめったに見る機会がなくなりました。いつの頃から
でしょうか。男子生徒にとって学生服に学生帽は当たり前の事でした。最近、学生服は着ていても学生帽が
見あたりません。身は体を表すと言います。どんなに形が崩れていても、どんなに色褪せていても学生帽には
男子生徒らしさがありました。先日出会った男子生徒には男子生徒らしい初々しさと、きりっとした高校生らしい
溌剌さを感じました。バンカラではあっても男の子らしいことは、女の子も求めていることではないでしょうか。
大人になれば、いやでも男は男、女は女としての担うべき役割があります。母親の役を男が演じるわけには
いきません。また、男には男として担うべき役割があります。女性には男性にはない、きめ細やかな心遣いを
持っています。これらは人間がこの世に誕生したときから連綿として引き継がれてきたものです。法律で如何に
男女同権だと謳っても、男と女の動物としての本質までは否定出来ません。戦前の思想や教育があまりにも
男尊女卑であったが故に、憲法では男女同権であることを厳しく戒めています。しかし、その事が誤って解釈され、
今日のような状態を作り出していると言えるのではないでしょうか。男女共同で子育てをするにしても、母親は
母親にしか出来ないことがあると思います。
女の子は女の子らしく、男の子は男の子らしく育てることこそ、社会のあるべき姿が保てるように思うのです。
もちろん職場や社会では異なります。女性も有能な人はどんどん登用されるべきです。女性だからといって、
社会的な差別を受けることには絶対に反対です。男女はお互いに持ちつ持たれつの間柄です。どちらが中心で
どちらが脇役だというような分け隔てはありません。お互いを尊重すべきだと思っています。その考えを元にして
もう一度、「らしく育てる」という事を真剣に考えて見ようではありませんか。
2003年7月12日掲載
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