石油がなくなる日

私達が子供だった頃、そう昭和30年から40年頃の話ですが、石油は二十世紀の終わり頃には、なくなって
しまうのではないかと言う事がまことしやかに囁かれていました。また、そんなうわさ話を聞いても誰一人疑う者
はいませんでした。
時代は、一般家庭に石油コンロが薪や炭といった燃料に代わって普及し始めた頃の事でした。それまでは、
かまどや七輪が薪や炭を燃料として使われて来ました。石油コンロが我が家に来た時には、その便利さに
大変驚き喜んだものでした。
それから何年か過ぎて私達が高校を卒業する頃(昭和38年頃)から、石炭に代わるものとして石油が中心
の世の中になってきました。家庭では石油コンロから更に使いやすい器具として、プロパンガスを燃料とする
ガスコンロへと変わってきました。
昭和38年、私は時代の申し子ともいうべき化学会社に入社しました。赴任した熊本工場は、石炭(コークス)
や石灰石を原料としてカーバイドを作り、酢酸や酢酸の誘導品を作っていました。まだ、石油化学の工場では
なかったのです。
そして一年後には、水島工場(その頃は水島合成と言っていました)に転勤しました。水島合成は三菱化成
(今は三菱化学)との合弁会社で、石油化学コンビナートの一角を占めていました。この頃を境に、日本全国
に多くの石油化学コンビナートが作られていったのです。時代は、石炭を原料とする時代から石油を原料に
する時代へと移り変わっていったのです。
大量の石油が諸外国から輸入されました。また、日本も独自に中東の石油開発に関わってきました。諸外国
でも多くの油田が開発されました。石油は中東諸国だけのものではなくなったのです。イギリスは北海で油田を
開発し、ロシア(旧ソ連)ではシベリア、中国では新疆ウイグル自治区など辺境の地での開発が進みました。
私達が教わった二十世紀の終わりには、石油を使い切ってしまうのではという予想は見事に覆されたのです。
それでは石油資源は無尽蔵なのでしょうか。石油が化石燃料だとすれば過去の遺産を食いつぶしているわけ
ですから、なくなってしまうのは必然です。
今、中国は未曾有の経済発展を続けています。世界一人口の多い国ですから、使う資源も並の量ではあり
ません。中国はギリシャオリンピックの次のオリンピック開催国になっています。日本が東京でオリンピックを
開催した頃と同じような経済状態にあります。全てのものが作っても作っても足りないような状態なのです。
従って、日本からも鉄鋼製品をはじめ大量の物資が輸出されています。日本では廃棄物として厄介者扱い
されているような廃プラスチックでさえ必要としているのです。こんな国ですから当然、自前の石油だけでは
足りません。今後は中国の動向が石油の価格を決めるのではないかとさえ言われています。
さて、石油資源はどのくらい残っているのでしょうか。その答えを誰も明らかにしませんが、加速度的に消費が
増えている事を考えれば、いつかは必ず枯渇する日が来るに違いありません。日本はアメリカに次ぐ車社会で
すが、ただでさえ高いガソリンですが、より一層値上がりするに違いありません。そうなったら、今の社会構造は
根底から見直さなければならなくなります。石油製品は高騰し、自動車も動きません。多くを機械に頼っている
今の農業はどうなるのでしょうか。電気も水力発電や原子力発電だけでは足りません。全てが石油に依存して
今の社会を早急に見直す必要があるのではないでしょうか。
最近になって、電気は温暖化防止という観点から発電方法の見直しが始まりました。クリーンなエネルギーで
ある水素を使う燃料電池や自然エネルギーである太陽光発電が注目されています。しかし、エネルギー効率や
設備の耐久性など、なお、解決しなければならない問題をたくさん抱えています。
仮に石油資源があと40年間はあるとしても、その先に代わるべきものは何もないのですから、今からその日
が来る事を考えておくことが必要です。それどころか、石油が底をつき始めたら価格の高騰が始まるでしょうから、
社会的混乱は避けようがありません。それこそ、資源を巡って激しい戦争が始まるかも知れません。
その日が遠くない事を視野において、対策と心構えをしておきたいものです。少なくとも江戸時代以前の生活に
戻るぐらいのことは考えておいた方が良いかも知れません。
かつて偉大な文明はエネルギー資源を使い果たした事が原因で滅びたのではないかと言われています。中国
の始皇帝の兵馬俑では、兵馬俑の上を覆っていたと見られる大きな丸太の痕が残っています。しかし、始皇帝陵
周辺に森や林はありません。森や林はどこへ消えたのでしょうか。
始皇帝は強大な軍事力で近隣諸国や匈奴を倒し、統一国家を作ったと言われています。また、森林を切り開き、
大土木工事のすえに農地や灌漑設備を作ったと言われています。これら国家建設に欠かせなかったのが青銅器
に代わる鉄の武器や農機具でした。
それまでの青銅器より遙かに固く、強度を有する鉄はどのようにして作られたのでしょうか。その方法は今も昔
も変わりません。原料は鉄鉱石であり鉄鉱石を溶かすのはコークスであり炭でした。石炭を知らなかった古代の
人達は炭を使って鉄を溶かしたのです。そのためには大量の木材が必要でした。
余談になりますが、ブラジルでは製鉄のために、コークスを使うよりコストが安い炭を使っています。そのため、
アマゾンの大量の木材を炭にして製鉄を行っています。そのため、太古からの広大な密林が次々に消えて
います。アマゾンの密林は中国の黄土地帯と同じで、一度壊されてしまうと修復には数百年を要すると言われて
います。
始皇帝が祀られている周辺地域は広大な森林であったと言われています。しかし、今は見渡す限りの赤茶けた
はげ山になっています。元々、降雨量の少ないところですから一旦失われた森林はなかなか元には戻らなかった
のです。こうして森林を失い、鉄の生産が出来なくなった文明は、やがては衰退せざるを得なかったのではない
でしょうか。豊かだった森の痕跡は兵馬俑からも、残された青銅器にも刻まれているのです。それが、どれほど
かけがえのないものであったのか、後になって知る事になるのです。
もう一つ、忘れてならないのは地球温暖化の問題です。このまま化石燃料である石炭や石油を使い続ける
ことは、炭酸ガスを増やし続けることになるのです。今の状態でさえ、温暖化の影響と思われる気性異常が
起きています。この後、更に異常現象の加速が懸念されています。
こんな記事を書いていて矛盾するようですが、昨晩(2月24日)ロシアのサハリンでの石油開発の特集を見ま
した。サハリンでの石油開発はソ連時代から始まったようです。この石油資源開発にはアメリカの企業や日本
の商社が参画しています。しかし、ソ連とアフガンニスタンとの戦争や、その後のソ連体制崩壊と開発は決して
はかばかしくは進まなかったようです。
やっと30数年を経て現実のものとなってきました。サハリン周辺の海底には莫大な埋蔵量の石油や天然ガス
があると言われています。また、地理的にも日本に近く、中東に較べれば政情も安定しています。ということで
中東に変わる石油産出地として注目を集めています。
既に地元では、石油開発によって地域の経済活動が非常に活発化し始めています。日本やアメリカ系の企業
が支払う給料によって、リッチな若者層が増えているといいます。サハリンと言えば、かつては漁業くらいしか
産業らしい産業がなかったところですが、石油や天然ガスによって大きく変貌しようとしています。
今、シベリアの石油資源を輸送するパイプラインの敷設を巡って、日本と中国との間で熾烈な駆け引きが行わ
れています。サハリンの石油や天然ガスも同じような状況にあります。
又、最近の新聞記事によりますと、北カスピ海油田開発に関し日本の石油公団系の国際石油開発に対して
カザフスタン政府から開発許可が出て、投資額3兆円という超大型のプロジェクトがスタートするようです。この
油田の埋蔵量は過去30年で「最大級の発見」だとと言われています。
2004年3月21日掲載
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