死について考える

私は子供の頃、自分が死んだらどうなるのだろうとか、死ぬという本当の意味は何なのだろう等と、とりとめのないこと
ばかりを考えながら、布団に入ってもなかなか寝付かれないことが度々ありました。誰しも同じような経験はあることでは
ないでしょうか。
立花隆さんは臨死体験について調査研究をされ、一冊の本を出されています。その本に書かれている結論としては、
体験者共通の経験として同じような証言をしておられるようだが、確証めいた事は何も掴めなかったと書いておられました。
あの世があるのかないのか、あるとすればどんなところなのでしょうか。あの世へ行くには、どのようにしていけば良い
のでしょうか。あの世からこの世に戻ってくることはあるのでしょうか。聞けばあの世には苦しみも悲しみもない世界だと
言います。本当にそんなところがあるのでしょうか。
仏教では輪廻転生と言うことを言います。特にチベット仏教では重要な事だと捉えているようです。だからこそ、人が亡く
なったら線香をくよらし蝋燭の火を絶やさないようにして、念仏を唱えるのだと言います。そうしないと死者がいつまでも
この世に未練を残したり、あらぬ方向に迷い込んだり、挙げ句の果てには人間に生まれ変わることが出来なかったりする
のだそうです。日本ではお葬式の意味が薄れてしまい、形式的なものになってしまいました。しかし、本当はお灯明一つを
灯すことにしても大切な意味があるのです。
だから輪廻転生はあるのだと言われてもピンと来ません。ましてや天国だ地獄だと言われても、科学万能の今の時代に
してみれば、とても信じがたい事です。全ての事象が自然のなせるままの時代であれば、あるいは天国や地獄と言っても
信じたかも知れません。しかし、月に人が立ち、火星にも人が行こうかと言う時代に天国や地獄を語る人は、もういない
のではないでしょうか。
では、人は死んだらどうなるのでしょうか。自分自身の存在が消えてしまうだけなのでしょうか。死を考えることもいや
ですから、ついつい、その事から目を反らしてしまいます。しかし、年を取れば誰でも死を迎えなければなりませんし、
年を取らなくても死は突然にやって来たりします。
私自身も目を反らさないで、死というものと向かい合って生きていかなければならない年齢になりました。今私は、死と
向かい合うと言うことは、如何に生きるべきかと言うことだと考えています。きれいに生きてきれいに死を迎える。潔く
生きて潔く死を迎える。それが理想的な死に方ではないかと考えています。
私の考えでは天国も地獄もなく、ただの無に帰るだけの事だと思っています。肉体あっての精神です。精神だけの
存在は無いのではないでしょうか。精神は肉体と伴に無に帰る、そう考えた方が良さそうです。無に帰るためには、
この世に未練を残さないようにしたいと思っています。未練を残さないように、今の今を精一杯生きて生き抜くことだと
思っています。
ともあれ、無宗教で無神論者の私には、この程度の事しか思いつきません。神に召されるなど、この汚れた悩み多き
人間にはとうてい望めそうにもありません。とにかく生きてある今はお釈迦様の教えを守り、人としての道だけは踏み外す
ことなく生きていきたい。数ある煩悩とは素直につき合いながら、生かされてこの世にいる限りは、感謝をしながら日々を
送りたいと思っています。
2002年6月8日掲載
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