大切なのは信頼関係

JASマーク(日本農業規格)に対する信頼が揺らぎ始めていると言います。例の雪印問題を契機として偽りの産地表示を
した食肉に関する問題が後を絶たぬように発生しているからです。恐らくはほんの氷山の一角であり、この問題はあらゆる
食料品にわたって奥深く浸透している問題ではないだろうかと思っています。
この世の中の多くの事は人間同士の信頼関係の上に築かれています。その信頼関係が崩れてしまったら後は法的に
規制を強化し、罰則を課すしか方法は残っていません。
私達が子供の頃は家に鍵をかけなくても良いほど治安は安定していました。農家などでは農作業に出ている間、尋ねて
くる人がいても家の中のものがなくなるなどと言うことがなかったからです。昨今、残虐きわまりない事件が多発しており
物騒になったとはいえ、比較的日本国内の治安は保たれています。ブラジルなどではどの家も扉は二重になっています。
外の扉は鉄格子という厳重さです。それでも一家皆殺しにされたと言う事件も少なくないようです。
アメリカは治安を保つために徹底した法律で取り締まりを行っています。治安のみならずあらゆる事に法規制があります。
問題が発生すればお互いの主張をし続けるという延々たる裁判や調停が待っています。
先日来、車からゴミを放り投げるところを何度も見かけます。何を考えているのかと腹立たしく思います。ゴミを置かない
ようにという大きな看板が立っているにも関わらずゴミ袋を置いていくものが後を絶ちません。粗大ゴミは置かないようにと
回覧板を回しておいてもゴミ収集場に古タイヤを置いていく人がいます。中には生ゴミの中に空き缶を入れて出す人も
いるようです。隣のビルの屋上にゴミを何ヶ月にもわたって投げ捨てていたものもいるようですから世も末だと言わざるを
得ません。
どうやら日本もアメリカ並に全てを法律や条令で規制をしなければならなくなったような気がするのです。ましてや食肉を
初めとする食料品はお互いの体の中に取り込まれるものです。産地を偽るくらいは罪が軽いと言った考え方は大間違い
です。小さな事の積み重ねの延長線上に雪印問題があるのだという認識が必要なのです。
信頼関係という言葉がいつの頃からないがしろにされるようになったのでしょうか。お互いに信頼し合えることこそ住み
易い社会を作る基本です。その信頼関係をなし崩しにするものの責任は、大変大きいと言えるのではないでしょうか。
2002年3月17日掲載
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