スローライフの勧め

自動車で走っていると見落としていることが実に多いようです。歩いて見ると同じ道であっても、こんなところにこんなものが
あったのかとか、こんな可愛い花が咲いている等と、新しい発見がたくさんあります。
以前、何かで読んだ記憶があるのですが、人間は自分の歩行速度以上になると周辺が見えなくなるそうです。言われて
みれば確かに、その通りだと思います。人間は本来、歩行速度以上ではものを見る事が出来ないのではないでしょうか。
さて、私達は昭和40年代から50年代、60年代と大変なスピードで一時代を駆け抜けて来ました。その結果、バブル経済
は破綻し、それまで築いてきた秩序や社会制度さえも機能しなくなっています。私達は経済成長を急ぐあまり、本当は大切
だったものをたくさん置き去りにして来ました。
東京オリンピックがあり、時を合わせて東海道を新幹線が走りました。東西の主要都市を結ぶ新幹線は高度経済成長の
象徴のような存在でした。新幹線に乗って気付くのは、遠くの景色は見えるのですが、足下の景色はほとんど見えない事です。
私が子供の頃は蒸気機関車の旅でした。ガタゴトという線路の音を聞きながら、車窓に展開される景色を眺めるのが大変
好きでした。今まで見たこともないような、知らない街の景色が見えるからです。残念ながら新幹線の旅では、こんな楽しみ
はありません。ひたすら目的地に向かって走るだけです。日本の高度成長時代はこんな新幹線の旅に良く似ています。
最近になって、今までの生活に対しての反省が出始めました。出てくるのが当たり前だと思うのです。人間の歩行速度
以上では何も見えない人間が、あえてそれを選んで来たのです。昔の蒸気機関車の旅が如何に楽しいものだったのか、
今になって気付き始めたのではないでしょうか。
各地に昭和三十年代の町並みが再現され人気を呼んでいます。単なるノスタルジアだけでなく、その時代を思い出すのは、
今の時代失ってしまった人と人との繋がりや人情があったからではないでしょうか。「向こう三軒両隣」と言った関係は、隣
近所の連携の強さや人情の厚さを表しています。私達が子供の頃は、ものこそ不自由な時代でしたが、その不自由さを
カバーしてあまりある人情があったように思います。近所にけが人や病人が居ると我が家のことのように心配をしました。
みんなが知恵を出し合って何とかしようと努力をしました。足りないものの貸し借りも日常茶飯事でした。こうして、みんなの
絆はより一層強くなっていったのです。
今では、かなり以前から近所のお年寄りが亡くなっていたことさえ気付かなかったとか、一家心中した家族の相談にも
のってあげる人もいなかったとか、昔は考えられないような事が次々に起きています。小さな田舎町でさえそうですから
都会での孤独や孤立はもっとひどいのではないでしょうか。この世の中は感情を持たない物の世の中ではありません。
人間の世の中なのです。
子供の頃はペットと言うより番犬に過ぎなかった犬が愛玩動物としてたくさん飼われています。これも人間という弱い
動物が何かにすがりたいという思いからではないでしょうか。プライベートを望みながら一方では孤独ではおられない
人間の弱さを表しています。
もう一度、あの三十年代の「向こう三軒両隣」の時代を取り戻すことは出来ないのでしょうか。つい先日「東京物語」と
いうモノクロ時代の映画を見ました。戦後間もない日本の姿でしたが、何かしら今日を予感させるような映画でした。
しかし少なくとも、この頃までは人間同士の心の絆がしっかりとしていた時代なのです。
もうこれ以上、急ぐ必要も変革も必要ないのではないでしょうか。もっと、足下を見つめて人生を楽しむ生活スタイルが
求められているのではないでしょうか。最近、スローライフという新語を見聞きするようになりました。しかし、そんな新語
を使うまでもなく、つい数十年前までは、そんな生活だったのです。春の散歩道にはタンポポもオオイニノフグリも可愛い
花を咲かせています。
2003年2月22日掲載
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