社会主義経済の崩壊

中国(中華人民共和国)の場合
先日、羽田空港ロビーの書店に中国の経済について書いた本が山積みされていました。多くは中国経済を前向きに
評価したものでした。しかし、たった一冊、全く反対の見地から書かれたものがありました。それは中国経済の行く末を
危惧するものでした。
先に中国は全国人民代表大会を開催しました。その際、指導部である中国共産党書記局の大きな人事異動がありま
した。俗に言う若返りを図ったのです。中国はケ小平氏の頃から開放経済と称して資本主義経済を導入してきました。
国有化されていた効率の悪い企業を切り捨て民間企業の育成を図ったのです。今回の全人代でも個人の資本家の多く
が共産党員に登用されました。かつてなかった事です。ソ連も連邦解体と時を同じくして資本主義経済に大きく傾斜しま
した。しかし、中国のそれと比較すると劇的とは言えないささやかなものでした。しかし、中国は経済解放区をたくさん作り、
上海に見られるような資本主義国顔負けの大きな経済成長を遂げつつあるのです。この動きはどこまで続くのでしょうか。
物事には表があれば裏があります。経済の飛躍的な発展は負の面にも顕著になって来ました。社会主義国にはあり
得ないはずの貧富の差が生じてきたのです。それは資本家と労働者、使うものと使われるもの、都会と農村の所得の
差と言うような形で現れて来たのです。いったい、これで社会主義国家と言えるのでしょうか。国家権力の中枢は共産党
という社会主義をテーゼに掲げる国ではあっても、その本質は変わってしまったのです。
その上、社会悪である官僚の腐敗が急速に拡大をしています。かつて中国が清と言われていた頃、清朝の官僚達の
間では賄賂が当たり前のようになっていました。過去にも歴代の王朝は、このような内部の腐敗から崩壊が始まったの
です。歴史上、中国は幾度となく他民族の支配下におかれました。しかし、中国自らは決して変化することなく、他民族
を自らの中に取り込んでいきました。国の多数を占める漢民族の図太さと、かたくななまでに変わろうとはしない、何か
を持っているような気がしてなりません。従って、今は中国共産党の支配下にあっても、その共産党すら飲み込んでしま
うようなエネルギーが、今日の経済発展の背景にあるのではないでしょうか。有史以前からの長い歴史に培われて来た
民族の思想が底流にはあるように思えるのです。
ともかくドックイアーといわれるスピードで発展し続ける中国経済、しかし、どこかに頂点はあるはずです。バブル崩壊
までの日本がそうでした。このままどこまでもと、みんなが思っていたはずです。しかし、どんなに栄えた文明も必ず凋落
の時はあるのです。12億人とも言われている国の経済が崩壊したときは、どのようになるのでしょうか。想像するだに
恐ろしいことです。
朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の場合
お隣の北朝鮮では社会主義体制とは言いながら個人崇拝の独裁国家です。ここ数年、社会主義経済は完全に破綻
しているように思えます。国内は戦前の日本以上に思想教育が行き届いています。三権をすべて掌握している独裁者
の国が、どんな国であるかは多くを語る必要はないでしょう。過去の歴史を紐解けばいくらでも忌まわしい先例はあります。
・しかし、残念なのは閉鎖された国だと言うことです。情報が全く入らないと言うことは、自分と他人を比較して見ることが出来ません。従って、政治を批判することも自分達がどんなに惨めな状態にあるかも多くの国民には分からないのです。
ひたすら上に立つ絶対的な権力に媚びを売るしか方法はないのです。
そんな国でも手のひらから水が漏れるように逃亡者が出ています。飢えに絶えかねての行動です。決して権力者に
逆らっての行動ではありません。それほど国家経済は疲弊しきっているのです。この国もまた賄賂無しでは暮らせない
国になっています。権力を持っているものは権力を誇示するだけで物が手に入ると言います。物乞い同然の者から
でも平気で賄賂をかすめていくと言います。この国も表は社会主義国家でありながら、内実は汚職と賄賂と独裁の
まかり通る地獄のような国家だと言えます。
先日も中国へ不法侵入した北朝鮮の男を取材したドキュメンタリー番組がありました。彼から洩れた言葉の中に
考えさせられるようなものがありました。「分け与えられる物が十分にあった時代には、しんどい仕事は人に押しつけ、
物を受け取るときには人を押しのけてでも前に出て受け取っていた」、要領の良い者が常に得をし、要領の悪い者は
いつも損をしている。社会主義という体制は、そんな人間性をも歪めてしまうような体制だったようです。
今日の中国や北朝鮮を考える時、決して思想で人は縛られないのだと言うことを強く感じざるを得ません。人の欲望
を思想で縛ると言うことは絶対に不可能な事ではないでしょうか。それが故に保守政治は常に強いのだとも言えましょう。
それは思想ではなく人間の欲望に依拠しているからに他なりません。ほんの少し目の前に餌をぶら下げさえすれば
良いことなのです。金を与える、物を与える、就職の口利きをする、常に政治家が愚かな大衆にやってきた事です。
餌をばらまきさえすれば、多くの大衆はいとも簡単に食いついて来たのです。
こうしてみると人間の計り知れない欲望と愚かさとは、何時の時代も体制の如何によらず変わらないもののように
思えて来るのですが。
2002年12月31日掲載
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