トータルファイアーズ

この映画は、昨年、話題を呼んだアメリカ映画でした。それというのも核爆弾によるテロがテーマの映画だった
からです。アメリカでは一昨年の9月11日、世界貿易センタービル等に旅客機が突入するという、考えられない
ような大規模なテロを経験しました。そして、未だにアメリカ国民の間には、その時の記憶が強烈に残っている
ようです。
そんな恐怖感もさめやらぬ折りもおり、今度は化学兵器でも生物兵器によるものでもない究極のテロ手段、
核爆弾によるテロが起きるというテーマの映画が上映されました。
テロに使われた核爆弾は、かつてアメリカがイスラエルに極秘裏に渡した核爆弾です。長い間、砂漠の中に
不発弾として埋まっていたものです。この核爆弾が地元民によって掘り出され、ナチスを信奉するテロ集団の
手に渡ってしまいます。
一方、ここはホワイトハウスです。長年、政権の座にいたロシアの大統領が突然死亡し、両国政府の信頼
関係が失われてしまいます。アメリカ政府としては、ほとんど面識のない人物がロシアの新大統領になったから
です。アメリカ政府にとっては、ロシアの新大統領の人物像がまったく分からないため、以前、単独インタビュー
をした事のある若い歴史学者をホワイトハウスに呼びます。彼は大統領をはじめ政府要人の前で、ロシアの
新大統領は思慮深い信頼のおける人間だと説明します。
しかし、アメリカ政府にとって、ロシア新政権への不信感はなかなかぬぐえません。折りもおり、ロシア軍部内
の反大統領派が起こしたチェチェンでの大規模な軍事行動が、アメリカ政府にとって挑戦的な行為に見えるの
です。
緊迫した状況が続く中、新ロシア政府の真意を探るべく、アメリカのCIA長官自らがロシアを訪問します。同時
にCIAの特命を受けたスパイがロシア内に潜入します。そこでスパイは思いがけない重大な情報をつかみます。
ロシアの原子力関係者数名が行方不明になっていたのです。実は彼ら研究者はナチスを信奉するグループに
拉致されて、イスラエルで極秘裏に入手した核爆弾の再生を命じられていたのです。スパイが現場に乗り込んだ
時には用済みとなった研究者達は全員殺されていました。そして、再生された核爆弾は密かにアメリカへ向けて
運び出された後でした。
映画の舞台はアメリカのボルチモアです。ボルチモアではアメリカ大統領や政府要人を招待してアメリカンフット
ボールの試合が行われています。歓声を上げて観戦している観衆達の陰では仕掛けられた核爆弾が刻々と時を
刻んでいます。一方、今はCIA捜査官となった歴史学者は、核爆弾が事もあろうに大統領のいる試合会場に持ち
込まれている事を察知します。そして、試合会場にいるCIA長官に伝えようとします。しかし、観衆の歓声で携帯
電話の声が聞き取れません。それでも間一髪、事態が逼迫していることが伝わり、大統領は大急ぎでその場を
立ち去ります。大統領が会場を離れた途端に核爆弾は爆発します。とてつもない爆風は大統領の車も同行した
CIA長官の車も吹き飛ばしてしまいます。空には不気味な黒いキノコ雲が立ち上っています。町は一瞬にして炎
に包まれてしまいます。白昼の大惨事が起きたのです。
間一髪、死を免れた大統領は軍のヘリコプターで救出されます。そして、エアホースワンに乗り移った生き残り
の政府関係者が今回の事件の解析を始めます。政府関係者の頭の中にはロシアの核攻撃ではないかという
疑いがあります。一方、ロシア側にも、この衝撃的な事件が伝わります。一番恐れていたことはロシアからの先制
攻撃だと誤解されて、アメリカ軍が軍事行動を起こすことです。そんな両政府の一触即発の状態を喜んでいた
のは、核によるテロを実行したナチス信奉者のグループです。
すでに両軍の出先では小さな戦争が始まっていました。その動きは次第にエスカレートして戦略ミサイルの発射
ボタンを押すばかりの状態になってしまいます。疑いが疑いを呼び、限りない恐怖心が関係者の頭の中を駆け
めぐります。いつ核ミサイルの発射命令を出すのか、エアホースワンの中でも意見が分かれます。まさに大統領
が、その決断を下そうとしている時、ロシア政府に電子メールが届きます。CIAの捜査官からのものです。今回
の核爆発はナチス信奉者達の陰謀であり、この陰謀に踊らされてはいけないと言うことを訴えています。
やっと、両国の首脳にも事の真相が明らかになってきました。そして、ロシア側に核攻撃の意志がないのなら
アメリカも核ミサイルの発射をしないことを約束します。核戦争の瀬戸際で、やっと最悪の事態は回避されたの
です。お互いに両国政府の意志が通じ合ったのです。全面核戦争はぎりぎりのところで回避されました。その一方
で、口封じのために今回の陰謀を企てたナチスの信奉者達は、何ものかの手によって次から次へと闇の中へ葬り
去られていきます。
この世の中に核爆弾がある限り、いつ起きても不思議ではない事件です。また、お互いの国家間に信頼関係が
なければ、事態の急変は避けられないかも知れません。第三次世界大戦の恐れは旧ソ連体制が崩壊し、一見なく
なったかに見えますが、テロという新しい事態に直面しますと、ますます混沌として新たなる恐怖が湧いてきます。
この世から核というものがなくならない限り、常にこの恐怖と背中合わせで暮らさなくてはならないのです。二度と
再び、広島や長崎の悲劇を繰り返さないためにも核全面廃棄が必要なのではないでしょうか。
2003年9月11日掲載
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