2日目(7月16日・・・日本時間)
早朝、娘を送り出した後、散歩を兼ねてジュースを買いに近くのスーパーに行った。
行き帰りには町のあちこちの写真を撮した。
通りに面した家には、たいてい庭があり、紫陽花、シャクナゲ、きゃらぼく、かんぞう等といった植物が植えられていた。日本になじみの植物も多い。
しかし、街路樹には見たこともないような種類の木が植えられていた。なんという名の木だろうか。
宿泊したホテルの前を走っている便利な乗り物、地下鉄 朝食を済ました後、予定通り市内見物に出かけた。乗り物は電車。市内の交通はタクシーか
路面電車(とは言いながら、実はれっきとした地下鉄である)。この電車でフリーダムトレイルの
出発点にまで行ってみる。州議会議事堂が目の前に見える。路面の赤いラインが名所を訪ね
歩くための目印となる。旅行ガイドの本を片手に、不安を胸に抱きつつ歩き始める。
(フリーダムトレイルとは市内見物の際、路面に印された赤いラインに沿って歩けば、一通りの
観光場所は迷わずに見物できるというもの。これは参考にしても良いアイディアだと思う。)
![]()
左、家内の足下にあるのがフリーダムトレイルの目印、赤いライン 右側はアメリカの独立宣言をした議事堂、ケネディもここで演説をしている。 ボストンはイギリスからの独立戦争時代の遺跡が実に多い。ポールリビアと言う人は
アメリカ独立戦争の英雄だった人で、彼に関する遺跡がたくさんある。午前中は家内と2人で
これら遺跡巡りをし、お昼頃、娘と待ち合わせの場所に行く。そして、一緒に昼食を食べに
中華街へ行った。さすがに、アメリカではあっても中華街に来ると雰囲気が何となく異なる。
夜は一人歩きが出来ないと言う。そう言われてみれば、そんな感じがしないでもない。
![]()
左はボストンの中心地、巨大なビルが林立している、右は中華街(ここだけは雰囲気が違う) 今日の昼食は飲茶とのこと。大きな店の中には客がいっぱいだった。人種は様々だ。
テーブルに着くと、早速、中国人の店員が蒸籠に入ったシュウマイ等を、ステンレス製の
ワゴン車に乗せて持ってくる。欲しいものを自分で選んで、皿に載せて貰えば良い。
コース料理ではないので、自分の適量を食べれば良いから便利だ。ついでに、中国製ビールも
頼んでみる。味は、どこのビールも同じようなものだ。飲茶は程々に腹を満たすには、
もってこいのメニューで味も大変良かった。
市内至る所で目にする風景、街角の音楽師達 この日はボストン美術館の無料開放の日だった。入り口でバッジを貰って中に入る。バッチが
ここの入場券代わりとなっている。世界でも有数と言われているボストン美術館は、大きすぎて、
とても1日では回り切れない。従って、自分が見たい所だけをピックアップして、大急ぎで回る
事にした。家内と娘はエジプトや日本の収集品コーナーに、私はギリシアと日本の収集品の
コーナーを見て回った。さすがに質、量ともにすばらしい収集品の数々だ。近くに住んでいれば、
もっとゆっくり鑑賞出来るのだが、本当に残念だった。ほとんど、記憶に残らないような急ぎ足の
見学だったが、あっという間に閉館時間が来てしまった。三人ともいささか歩き疲れていた。
美術館を出た後は、ベトナム料理の店で夕食を食べようという事になっていた。ベトナム料理は
日本料理に近いようなあっさりしたものだろうと思っていた。ところが、想像していたのとは大違いで、
とうがらし辛く、油でべとべとだった。チャーハンを掬うと皿の底には油がどろりと溜まっていた。
その上、お米はタイ米なので、ぱさぱさしていて全く粘りけがない。とてもベトナム料理は口に
合わない。半分くらいは残してしまった。ホテルに帰って早速、胃薬の世話になった。旅行の間中、
私も家内もずっと胃薬の世話になっていた。不思議なことに、日本に居た時には小食で油ものに
弱かった筈の娘は平気で食べていた。住むところが違うと、こうも人間は変わるのかと驚くやら
感心するやら。環境は人を変えるのだろうか。
|
|
|
|
|