4日目(7月18日・・・日本時間)

 朝、ホテルを引き払い、ひとまず荷物を水奈子の下宿へ移す。ここで下宿先の主、ローズマリーに会う。

気さくな感じのいい女性だ。荷物を置きに入った娘の部屋は本当に狭い部屋だった。狭い部屋に

わずかばかりの荷物が所狭しと置いてある。留学費用が少ないので、こんな狭い部屋に居るのかと

思うとかわいそうな気がした。プリマス行きの時間はせまっていた。そんな感傷に浸っている時間もなく、

ローズマリーへの挨拶もそこそこに、プリマス行きのバスターミナルへ向かう。バスターミナルは

大きな変わった建物だった。周辺からかなり高いところがバスの乗り場になっている。

切符を買って待つことしばし。プリマス行きのバスが入ってくる。車内はほぼ満席状態だった。

 バスは一時間くらいでプリマスに到着。途中の道路は3車線のハイウエイ。バスの中は冷房が

ききすぎて寒いくらいだった。バスを降りたときは外の暑さにほっとした。ホテルがわからないので、

とおりがかりの人に尋ねてみる。親切な人で丁寧に何度も繰り返し教えてくれる。そういえば、

この人に限らずアメリカ人は親切で、世話好きな人が多い。とりあえず、今日の宿泊先に荷物を

置きに行くことにする。今日の宿は町外れのモーテルとのこと。町の中を観光案内している

トロリーバスに乗ってモーテル近くまで。小さな幌馬車を真似たようなトロりーバスだ。

波静かなプリマス港とメイフラワー二世号

 ひとまず荷物を置いた後は、観光施設巡り。最初に行ったところはプリマスプランテーションという所。

ここではアメリカ大陸に初めて移民達が渡ってきた頃の生活を再現している。ここのスタッフ達は

6ヶ月の演技訓練を受け、その当時のままの姿と言葉で観光客に接している。実にリアルで、

その時代にタイムスリップしたような感じさえ受ける。

   

プリマスプランテーション(入植当時の姿を再現している)

 ここを出ると、次はメイフラワー2世号に行ってみる。ここは私たちが最初にトロリーバスに

乗ったところ。この船は港に係留されたままだが、当時の船を再現し、中にはプランテーションと

同じように当時の姿をしたスタッフ達が出迎えてくれる。こんな小さな帆船で、はるばる大西洋を

越えてきたのかと、当時の旅がいかに過酷で辛いものであったかその苦労が忍ばれるようだ。

こんな小さな船で大西洋を横断してきた(メイフラワー二世号甲板にて)

 次は、クラウンベリーワールド。その昔、この地方は長くクラウンベリーのアメリカ一の産地だった。

そのクラウンベリーを栽培し、収穫するまでを、歴史の歩みと共に展示していて、観光客に

紹介している。又、試食や試飲のコーナーもある。アルバイトであろうか、それともボランティアで

あろうか、おばさん達が親切に対応してくれる。そういえば船のペンキ塗りをしていた若者達も、

そして、あのトロリーバスを運転しているおばさん達もみんなボランティアだろうか。そんな感じの

人達だった。そして、ここら周辺には開拓当時を記念した色んな施設がたくさんあるようだ。

 夜はシャワーを浴び、町のホテルに食事に行くつもりだった。ところが待てど暮らせどタクシーは

来ず、結局モーテルの隣のレストランに行くことにした。それが悪いことの始まりだった。

 私達のテーブル係りとなったボーイにズボンにワインをこぼされた上、待てど暮らせど頼んだ

料理は来ないのだ。催促をするとその都度もう少し待ってくれと言うのだが、いっこうに持ってくる

様子がない。他のテーブルには次々に料理が運ばれてくる。どうやら、いくら待っても持ってくる

気持ちはないようだ。わざと持って来ず、私達が出ていくようにし向けているようだ。そう気が

付いたのは、店に入ってからかなりたってからだった。たまりかねて席を立ち、店のレジにいた

責任者と思われるような女性に抗議した。気の毒がって他に席を取ろうかと言ってくれたのだが、

とても、そんな気にはなれなかった。私達は腹をすかせたまま、ここで食べるのをあきらめて店を出た。

 この国のレストランにはテーブル担当者がおり、その担当者がすべてを仕切っている。従って、

きちんとした担当者であればいいが、今回の様に、差別意識を持っているような担当者だったら、

私達のような客には、こんな仕打ちが待っている。ワインをこぼされた時に、早く気付くべきだったのだ。

ボストン周辺部には、まだまだ差別意識が残っていると後で聞いた。

 今回は何から何までついていなかった。空き腹も怒りで腹一杯。夕食も食べずに寝てしまう。私達は

すっかりくたびれていた。娘はしょげてデュワイトに電話をし、慰めて貰っていた。本当にご苦労さん。

あの町この町へ戻る

アメリカの旅5へ進む

ホームへ戻る