豊かさのもたらしたものとは−置き忘れて来た心

豊かさのもたらしたものとはいったい何だったのでしょうか。私達は物や金と言った物質的なものにばかりに目が向いて
肝心な「心」というものを置き忘れて来たのではないでしょうか。毎日のように報道される事件の中に夫婦間の問題や親子
の関係に起因するようなものが少なくありません。人は刹那的な快楽や物質的な豊かさに溺れ、肝心な夫婦や親子と
いった基本的な人間関係を忘れているような気がしてならないのです。学校においては学級崩壊があり先生方の心の病
が増えていると聞いています。いったい、いつの頃からこんな事になったのでしょうか。
企業の利益追求一辺倒のやり方は雪印や日本ハムそしていまは東京電力といった社会的なモラルさえ守られない企業
を作ってきました。その上、膨大な借金を作り、不良債権という形で残ってしまいました。その結果、飛ぶ鳥をも落とすような
勢いだった銀行も経営が行き詰まって、国の資金投入がなければ倒産してしまうような事になってしまいました。大手の
スーパーが倒産し、デパートが倒産しました。ゼネコンと言われた建設会社も経営が危ういと言われています。まだまだ、
これから他にも出てくるのではないかと懸念されています。
バブル期には行けや進めで誰も後ろを振り返って見ようとはしませんでした。こうした恐れを知らぬ利益追求一辺倒の
やり方が破綻を来したことは言うまでもありません。「奢る平氏や久しからず」人間が繰り返し犯してきた愚かな過ちの
結果なのだと思っています。
一度は立ち直りかけた経済も、ここに来て一進一退の状態です。天井知らずであったアメリカ経済に少し陰りが見え
始めた頃、世界貿易センタービルのあのすさまじい事件が起こりました。昨年の9月11日のことでした。まさに象徴的な
事件でした。事件は仕組まれていたとしか思えないようなタイミングで起こりました。これでアメリカ経済はもとより、その
余波を受けて日本経済やヨーロッパ、アジア経済も一挙に失速しかかっています。
人間は前を見ることは出来ても後ろを振り返ることは大変苦手なようです。少しでも弱気を見せようものなら弱肉強食
の世界ですから、後から来た者に追いつかれ追い越されてしまうからです。しかしながら強気一辺倒で全ての事が片づく
のでしょうか。あまりにも経済的な側面ばかりを見過ぎてはいないでしょうか。この世の中は人間の世の中なのです。
人間的な面からもう一度見直す必要があるのではないのでしょうか。
こんにち、社会の色んな局面に現れている問題を眺めていますと、私達に大きな警鐘が打ち鳴らされているような気が
してならないのです。多少貧しくとも慎ましく、みんなが助け合って生きてきた時代の方が、もっと気楽に生きていけたような
気がするのです。私達が少年の頃、過ごした時代です。
社会のひずみはこんなところにも現れています。年金生活者の方が年金の拠出者より収入が多いというのも奇妙な
話です。中には使い切れなかった貯金を何千万円と持ったまま亡くなる人もいると聞いています。巷にはリストラをされて
働き場所のない人がたくさんいます。そうかと思うと年金生活者が年金を貰いながら給与レベルを引き下げるような安い
給料で働いているとも聞きます。雇用を分け合うこと、労働を適正な価格で売ること、このルールがしっかりしていないと、
今に年金生活者自身の足下をもぐらつかせる事になってしまいます。全ての制度について見直すとともに、正しい姿に
治していかなければ、今日の状況を解決する事にはならないのではないでしょうか。
賃金が高すぎて経営の先行きが不安だと言うのであれば、適正な賃金にする事はやぶさかではありません。もちろん
無条件と言うわけにはいかないでしょう。社会にはたくさんの弱者もいます。最低限の生活が確実に保証されることが
必要最低条件です。一定程度以上の収入があって、生活が保障されている人には多少我慢をして貰う事も必要かも
知れません。少ない富をいかにして平等に分け合うかがポイントだと思っています。一般の賃金レベルを引き下げれば
収入が少なく敬遠されがちな農業も、職業としての選択肢の一つに入ってくるのではないでしょうか。
ともあれ、全ては私達自身のものの考え方を変えなければ出来ない事ばかりです。共同体としての向こう三軒両隣と
いった時代の事を振り返りながら、これからの時代を真剣に考えてみたいものです。
2002年9月8日掲載
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