
この映画が制作されたのは1968年と言うから、もう31年も前のことになる。それにしてもいっこうに古めかしく見えない
のは何故だろう。SF映画というのは想像の中で作るものであるから、よほど考えて作らないと、妙に誇張したものに
なったり、逆に時代遅れの感じがしたりするものだ。
しかし、この映画を改めてこうして見てみると、今作った映画だと言っても少しもおかしくはないくらい素晴らしい出来映えだ。
舞台の中心となる木星探査機のディスカバリー号の中や、宇宙へ飛び立つ際の基地となる人工衛星や、月に建設された
基地や、宇宙で活躍する際の服装なども現代のものとほとんど変わらない。それ以上に機能的にデザインされている。
実際には2001年を目前にした今日でも完成していないものも多い。人工知能とも言うべきコンピュータのハル9000や、
探査機の外で活躍する小型作業船や、月への連絡船など、恐らくはこうなるであろう想像のものだが、現実にあっても
不思議ではない。宇宙船の中での人の移動などは磁気靴を履いての移動だが、実際にもこうなるであろう事は容易に
想像できる。木星への旅など夢の又夢だが、実際に旅するとなると実に巨大な宇宙船が必要となるだろう。
それは往復の燃料であったり、乗組員の酸素や食料であるわけだが、人間を冬眠状態にして、極力、エネルギーの
消耗を避けるようにすれば、それだけ持っていく物も少なくて済むわけで、将来、長い宇宙の航海をするとなると、
そんな技術も必要になってくるだろう。
2001年と言えば来年のことである。この映画をはじめて映画館で見たときは、ずっと遠い日のことのように思って
いたが、こうして目前にしてみると、この映画の素晴らしさが改めて痛感させられるのである。
皆さんにも是非もう一度鑑賞されることをお薦めする。
この映画の監督はスタンリー・キューブリック監督、原作はアーサー・C・クラーク、有名なSF作家だ。
又、お薦めなのは音楽だ。「ツァラトゥストラはかく語りき」と言う題名だそうだが、実に壮大な感じの音楽です。
私ははじめてこの映画を観たとき何を描こうとしているのか良くわからなかった。その後、「2010年」と言う
この映画の続編とも言うべき小説を読んだとき、ようやくおぼろげながらこのSFの全体像がつかめたような気がした。
しかし、それは私の独り合点だったわけで、今回ビデオで初めから終わりまでじっくり鑑賞して、そうかそういうこと
だったのかと、はじめて見たときの疑問と続編の小説の真にいわんとするところが、理解出来た。
それくらい奥の深い
映画でありSF小説といえる。人間の誕生から今日まで長い時間が流れているわけだが、私達自身、
人間というものの誕生から今日まで分かっているようでなんにも分かってない。
現在ヒトゲノム計画で人間の遺伝子を解読する作業が進んでいるが、それらがすべて解読されたからと言って
人間が今日まで進化してきたことや、その過程での出来事についてすべてのことが、分かるわけではない。
依然ナゾの部分は多いわけで、それだけに、SFの世界では限りなく興味をかき立てられるものなのだろう。
人間の進化に、もしかして、他の意図的な何かが関わっているとしたら、それはいったいどんなものなのだろうか。
興味は尽きないのである。そして、壮絶な人工知能のハル9000との戦いの後に、たどり着いた木星には又、
未知なるものが待ち受けている。生き残りのボーマン船長がこの探査機の目的を知り、そこで見たものは、
あの月で発見された未知なる物体、「モノリス」であったわけで、そこから更に物語は「2010年」に続くのだが。・・・・
人間はいったいどこから来て、これから、どこへ行こうとしているのだろうか。
今回「2010年」というビデオを観て、興味と疑問を感じて、更に「2001年宇宙の旅」を鑑賞したわけだが、実にいろんな
事を考えさせられた。はっきり言って作品の出来映えは「2001年宇宙の旅」の方がはるかに素晴らしい。比較にならないと
言っても過言ではないだろう。ただ、両方の映画を観て、どう感ずるかは見る人によって異なるかも知れない。
ではどうぞ、ごゆっくり鑑賞下さい。
原作:アーサー・C・クラーク(アメリカのSF作家)
監督、脚本:スタンリー・キューブリック、アーサー・C・クラーク
1968年制作
ナゾの物体:モノリス(黒石板)
木星探査機:ディスカバリー号
探査機の船長:ボーマン
2000.1.17掲載
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