友歩会「秋の吉備路を行く」 2002年9月29日(日)


秋は名のみの蒸し暑い一日でした。朝、予定通り福田公園に集合し、総社市にある備中国分寺前に向かいました。
当日の参加者は現地集合の人を含めて16名でした。私達が着いたとき、国分寺前の駐車場にはたくさんの車が
ありましたから、早朝とはいえハイキングを楽しんだり、サイクリングやジョギングをしている人達が大勢いたのでは
ないでしょうか。
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備中国分寺と国分寺の五重塔 私達一行は、この日の目的地を吉備津神社と決めて歩き始めました。道の要所要所には案内板が立っており、
吉備路の歴史をたずねる散策コースになっています。私達は備中国分寺や国分尼寺跡などを左に見ながら東に
向かって歩きました。
このように地図と方向を指し示した案内板が立っている 途中には近畿地方の古墳以外では最大級とも言われている造山(つくりやま)古墳があります。古墳は全体を
雑木林に覆われていますが、それでも木々の間からは段丘状になった跡がはっきり見えます。近くからでしたから
全体像はつかめませんでしたが、その大きさは相当なものです。また、この古墳の周辺は造山古墳群と言われて
おり、大小の古墳がたくさんあります。
(造山古墳は日本で第四位の大きな古墳です。また、周辺にある小さな古墳は培塚だそうです)
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造山古墳とその模型、階段状になった跡が今もはっきり残っている また、国分寺の東側には作山(つくりやま)古墳もあります。この古墳も造山古墳に負けないくらい大きなもの
です。こちらの方は見晴らしの良いところにありますので、離れたところからだと素人目にも古墳だと言うことが
良く分かります。
総社地域は古くから開けたところであったようです。大和朝廷に使えた人として有名な吉備真備なども、この
地方から中央へ出た人です。吉備王国として大和朝廷に少なからぬ影響を与えた土地であり、黒媛伝説などは
あまりにも有名なお話です。(黒媛伝説は吉備路にある「こうもり塚古墳」が黒媛のものだとされることから、仁徳
天皇に愛された黒媛の伝説が残っています。しかし、この記事を書いた後に、黒媛の伝説は岡山県勝北町に
伝わるものであることを知りました。いずれにせよ、岡山県が吉備の国と言われていた時代から大和朝廷と
密接な関係があったことは間違いないようです。)
広大な吉備平野、昔から豊かな土地だったのではなかろうか 広大な平野を持ち、古くから鉄の生産なども盛んであったようです。従って、米と鉄という強力な財力を背景
にして強大な権力を築くには充分な素地があったと思われます。多少の地形の変化はあったとしても、今も
変わらぬ豊かな農地が広がっています。つい最近まで阿曾という地域には鋳物を生業とする集団が住んでいて、
今も確か一軒だけは残っていると聞いています。そして、この周辺にはたくさんの鉄を作った遺跡のたたら跡等
が発見されています。
田圃には秋の稔りの稲穂が重たげに垂れています。収穫は間もなくのようです。その田圃には近頃では見かけ
なくなったような草花が可愛い花を付けています。まだまだ、ここら当たりには昔と同じ自然がたくさん残っている
ようです。
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田んぼの中には、このような可憐な花が咲いている(左がウリカワ、右がヒレタゴボウ) 長い長いたんぼ道を抜け、やがて足守川のほとりに出ます。そして、この川の橋を渡ると吉備津神社までは、
もう一息と言ったところです。足守川は秀吉が備中高松城を攻めたとき、この川を堰き止めて水攻めにしたことで
有名な川です。
この案内板から吉備津神社方面に向かう ここで吉備の歴史跡をたどる道とはお別れです。先程まではサイクリングやジョギングの人達とも行き交うことが
多かったのですが、この道からは行き交う人もなく寂しい田舎道がしばらく続きます。今日は小学校の運動会の
ようです。大勢の人が集まっています。民家の庭には色とりどりの花が植えられています。コスモスの色も一段と
鮮やかです。こうして民家と民家の狭い道を通り抜けると線路のほとりに出ます。吉備線のようです。
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民家の畑に咲いていた色鮮やかな鶏頭の花、小学校では運動会が行われていた 吉備津駅を過ぎるとやがて旧山陽道板倉宿の通りになります。吉備津神社に続く道です。かつては宿屋もあり
出店もあって賑わったところなのではないでしょうか。そして、もう少し歩くと吉備津神社に続く長い松並木になり
ます。松の根本には彼岸花が咲き、萩の花が咲いています。
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旧山陽道の板倉宿という立派な看板が立っている、長い吉備津神社参道の松並木 吉備津神社には人影も少なく静かな日曜日でした。私達は下の広場の池の中に浮かぶ小さな島で食事をとる
ことにしました。持ってきた弁当や串焼きビールなどが並びます。楽しいひとときです。結構距離を歩いているので
おなかも空いています。
ゆっくりと食事を済ませてから神社にお参りに行きました。古い大きな神社です。神社の裏手には写真のような
回廊があります。屋根が坂に沿って見事なカーブを描いています。お参り後は記念写真を撮ってここを後にしま
した。
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吉備津神社の大きく上下にカーブした回廊、そして神殿、吉備造りと言われている本殿の建物 ![]()
本殿の苔むした石垣が歴史を物語る、その昔、吉備津彦命が弓を置いたとされる大きな岩 どちらが裏でどちらが表か定かではないが裏参道と思われる大鳥居 疲れていた人もいたので近道をしようと考えたのが間違いでした。かえって遠回りになってしまいました。国分寺
近くまで帰り着いた頃は太陽も西に大きく傾いていました。さすがに足が痛みます。それでもみんな元気に元の
駐車場まで戻り、軽い体操をして帰途につきました。自然とふれあった貴重な一日でした。
豊かな自然がたくさん残っている ![]()
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左から草萩の実、ノコンギク、ドングリ ![]()
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左からツユクサ、ヒレタコボウ、マルバルコウソウ ![]()
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左からセイタカアワダチソウ、ヤマゴボウ、シロヨメナ ![]()
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左からメリケンムグラ、ヒガンバナ、ノアズキ ![]()
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左からトキワハゼ、ニホンハッカ、ツルボ ![]()
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左からヤナギハナガサ、民家の畑で栽培されていたナタマメ、自然は豊かでタニシもいた ![]()
吉備津駅のアメリカハナミズキの真っ赤な実、田んぼの中でひときわ目立つヒエ 2002年9月17日掲載
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