
このページでは私自身の心に感じた歌や音楽との出会いを書いてみたいと思います。どんな歌嫌いな人でも心に残る歌の
一つぐらいはきっとあるはずです。その歌が楽しい思い出につながるものか、あるいは悲しい思い出につながるものかは
人さまざまでしょうが、いずれにせよ歌が人生にとって何らかの関わりを持って今日まで歌われ続けていることは事実です。
日本人がこんなにも歌好きの民族であったのかと、カラオケの普及度合いからも改めて感心させられます。歌や音楽が
少しでも私たちの心に潤いを持たせてくれる存在であり続けることを願って書き始めてみました。
2000年2月19日
ある歌との再会 時はベトナム戦争のまだ傷癒えぬ頃でした。連続ドラマの主題歌として流れてきたのが、この歌でした。そして、イラク戦争の真っ直中、再び、この歌は戻ってきました。 「姫神」高松公演 長い間のあこがれだった「姫神」のコンサートに行って来ました。残念ながら星さんは病気療養中との事でした。早く、良くなられることを願いつつコンサートの感想を綴って見ました。 歌い継ぐもの 昭和が生んだ偉大な歌姫が亡くなって早くも15年が過ぎてしまった。生前の彼女の映像を見るたびに今でもどこかで生きているのではないかとさえ思えてくる。そんな彼女が歌った歌の数々。その歌を歌い継げるものはいるのだろうか。 瞼の母 何故、今の時代にと思うような番場の忠太郎をテーマにした歌が大ヒットしています。私達の心には時代を超えて忠太郎の思いに心を寄せる何かがあるのでしょうか。 BSにっぽんの歌 素晴らしい歌声と歌手を鮮明に映し出すBSにっぽんの歌、私にとって愛すべき番組の一つです。 望郷酒場からの卒業 私の心の応援歌とでも言いましょうか。「望郷酒場」は長く私の十八番の一つでした。しかし、この歌から卒業し新たなる旅立ちをしようと思っています。 歌伝説「ちあきなおみ」の世界 歌姫「ちあきなおみ」さんが多くのファンの前から忽然と姿を消して久しい。今もなお再登場を待ち続けているファンがいる。 下津井、お滝、まだかな橋 下津井節で知られた倉敷市下津井、ここには「まだかな橋」と言う名の桟橋があった。 ちあきなおみ「紅とんぼ」 ちあきなおみさんが私達の前から姿を消して、もう何年になるでしょうか。もう一度聞いてみたい、あの歌この歌、その一つが「紅とんぼ」です。 フランク永井さんの死を悼んで ソフトで包み込むような声はフランク永井さんの人柄そのものでした。そのフランク永井さんがとうとうこの世を去ってしまいました。心からご冥福を祈ります。
僕らはフォーク世代 昭和40年代は私達の青春まっただ中でした。そしてフォークソングとの出会い。それは多くの友との出会いでもありました。 2000年5月18日掲載 3分間のドラマは演歌 歌手が舞台で演ずるものは、その人の人生であり、聞く者の人生でもあります。 2000年9月16日掲載 八代演歌は心の演歌 女性受刑者達の心の中に去来するものは、八代亜紀が切々と歌い上げる歌詞の中に....。 2000年11月14日掲載 いま心の音楽を ある時は心うきうきさせ、ある時はやすらぎを、音楽と私達は切っても切れない関係にあります。 2000年12月20日掲載 松原のぶえコンサート 全身全霊を傾けて歌う姿には観客の心を揺さぶるものがあります。熱唱でした。 2001年10月23日掲載
演歌巡礼五十年 歌は世に連れ、世は歌に連れと言います。戦後の復興と伴にあった船村演歌は私達の心のふる里であり、心の応援歌でもあります。 2002年6月17日掲載 紅の舟歌 いつまでも消えることなく心に残っていた歌に再び出会うことが出来ました。 2002年6月19日掲載 癒し系あれこれ 喜太郎から始まって姫神まで癒し系の私の遍歴 2002年7月11日掲載 歌と人生 一世代変わればまた愛唱歌も変わるのでしょうか。戦後から経済発展の今日まで、愛されてきた歌も私達と伴に生きて来ました。 2002年8月24日掲載 心の風景 私の愛唱歌に「望郷酒場」と「無縁坂」があります。それぞれに過ぎ去った私自身の人生と重なりあうものがあるのです。 2002年8月24日掲載
運命の巡り合わせ 歌手天童よしみ、天才的とも言われる歌のうまさだが、彼女自身の運命抜きに今日の栄光を語ることは出来ないのではないだろうか。 2002年9月8日掲載 石川さゆりコンサート 女性演歌歌手の第一人者の一人と言っても良いだろう。この人の舞台には独特の情炎の世界がある。 2002年4月17日掲載 異国の丘 いつの間にか口ずさんでいた歌、そんな歌の数々は私自身の歴史でもあります。 2003年7月12日掲載 お袋さんの応援歌 それは細川たかしさんの歌謡ショーでした。朗々たる細川さんの歌が疲れ果てていたお袋さんの心を癒し元気付けてくれたのです。ただただ感謝感謝です。 歌声朗々と まったく凄い歌手が出てきたものです。男は氷川きよし、女は島津亜矢、二人とも朗々たる歌声なのです。その上、うまい。天は二物も三物も与えているようです。
私にとっての演歌は心の中の琴線に触れるものなのです。演歌を聴いていると煩わしいことを忘れて何となく心が
安らいで来ます。最近の歌番組はというと若者向きのアップテンポな歌が多く、ほんとうに寂しい気がします。私自身が
年をとったせいなのか、あるいは、私の育った時代が演歌全盛の時代であったからかどうかは分かりませんが、とにかく
演歌が好きなのです。
戦後まもなく美空ひばりや笠置静子、並木路子といった歌手達が戦争で押さえつけられていた憂さを一気に吹き飛ばす
ように色んな歌謡曲を歌い始めました。美空ひばりの歌は映画にもなって、私達の田舎町にもやってきました。海水浴場
では笠置静子の「買い物ブギ」が繰り返し流れていました。「異国の丘」は戦争を知らない私達子供にとっても何となく
もの悲しい思いにさせられたものでした。
当時、私の家にはラジオもありませんでしたから、大家さんの家から流れてくるレコードの歌がいつとはなしに脳裏に残り、
今でも覚えているのは「カフスとボタン」という当時としてはハイカラな歌です。バクデンボー、バクデンボーと繰り返される
同じフレーズが妙に印象に残っています。
人生と重なるひばりの唄
「歌は世に連れ世は歌に連れ」と言いますが、戦後55年間、この間に多くの演歌が歌われてきました。戦後の歌謡史は
美空ひばり抜きには語れません。戦後の焼け跡から、この世に出てきて、戦後と共に生きてきました。そして戦後は終わった
と言われ始めた頃、昭和と共に早々とこの世を去っていきました。
演歌を語る時もまた、彼女抜きには語れません。晩年には自分の死を予感させるかのような「川の流れのように」を自分の
生涯を振り返るかのように歌いつつ、この世を去って行きました。この歌を歌った彼女の心の中に去来するものはいったい
何だったのでしょうか。頂点を究めつつもなお私生活には恵まれなかった彼女自身の人生と重なり合うものがあったのでは
ないかと、これは私の想像なのですが。
ブルースの女王
同じ女性歌手の中にブルースの女王淡谷のり子がいます。この人は93歳で天寿を全うしました。東北生まれの女性らしく
しぶとく粘り強く生きてきました。戦前の軍国主義の中でも自分の主張を曲げることなく、一貫して自分の歌手としての考え方
を貫いてきたと言われています。
若い歌手達に対する辛口の批評には定評がありました。歌手という職業を誇りにして堂々と生きてきた女性です。明治女の
芯の強さを実感させる女性でした。
なにわ女二人
去る人があれば新たに日の当たるところに出てくる人もあります。天童よしみは天才と言われながら、長く日の目を見る
ことがありませんでした。美空ひばりが生きていた時は、同じ声域を持つ歌手二人は必要なかったからです。美空ひばりが
亡くなり、その後を埋めるかのようにどっと表に出てきました。
「トンボリ人情」は彼女を再び世に送り出した演歌ですが、こういった彼女の持ち歌以外にも他の歌手が歌ってヒットした
多くの演歌を彼女流に上手に歌っています。「よしみ節」と言われる独特の節回しは、誰にでもはまねの出来ない特異な
ものです。 歌のうまさだけでいうならば、彼女の方が大先輩の美空ひばりよりは少し上ではないかと思っています。
中村美律子は浪曲をやっていたというだけあってせりふ入りの演歌はピカイチです。浪曲の「壷坂霊験記」を歌った歌など
は彼女の真骨頂ともいうべきものではないでしょうか。特に曲の間での語りは浪曲の世界そのものです。
北の大地は演歌の宝庫
男性歌手ではやはり北島三郎が大将ではないでしょうか。歌に味があり華があります。「風雪流れ旅」などは大舞台を
飾るにふさわしい本当にスケールの大きな演歌です。
そして、華といえばこの人の右に出る歌手はいないかも知れません。細川たかしです。演歌もさることながら、この人の
民謡は実に朗々としていて、さながら人間楽器のような気さえしてきます。マイクが必要のないほどの豊かな声量は生まれ
育った北海道の大地そのもののような気がします。
味のある歌い方といえば千昌夫、吉幾三でしょう。東北訛の抜けない千昌夫、お父さんが民謡歌手だったという吉幾三、
いずれにも東北の土の臭いがするような味わいがあります。私の好んで歌う唄はこの二人の歌です。
特に千昌夫の望郷酒場は私の親父の思い出と一部重なるところもあって、大好きな演歌です。そして、酒好きには酒の歌、
吉幾三の「酒よ」等は一杯入れば思わずリクエストしてしまう歌でもあります。
もう一度聞きたい
歌手をきっぱりと廃業した中で、今でも惜しいなあと思うのは森進一の奥さんになった森昌子です。美空ひばりも文句なし
に褒めたといわれるくらい歌のうまさには定評がありました。今でも現役で歌っていれば旦那と文字通りおしどり夫婦として
デュエット曲でも聞けるようなチャンスがあったかも知れません。本当に惜しいことをしました。
演歌は心の応援歌
歌の良さはその歌を聴けばいつでもその時代のことが思い出されることです。亡くなった三橋三智也の歌を聴くと子供の頃
の貧しかった長屋時代がセピア色の思い出となって心に浮かんできます。
懐かしい演歌の数々、それは焼け野が原となり疲弊しきった日本が今日まで復興を遂げるおおきな原動力となってきま
した。いわば日本人の心の応援歌であったといっても過言ではありません。これからもよりよい演歌がこの世に送り出され、
日本人の心の支えになってくれることを願っています。
浅草「ヨーロー堂」 演歌ホームページというこのページ、なかなかユニークです。一度のぞいてみてください。
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